週刊日記

本をたくさん買った

前回買った本はメモリークエストをまだ読み終えていないんだけど、新たに4冊買ってしまった。カズオ・イシグロはいつか読みたいと思ってAmazonで探してみたらあったんだけど、送料考えるとブックオフのほうが安かった。「旅のラゴス」は筒井康隆の本で評価が高かったから。「日本人の英語」は日本人がよく間違う、というか理解できない a the といった冠詞の使い方や単数複数の使い分けに始まる英語の解説書。ちょっと読んでみたけど難しい。aを付けたりtheを付けたり何も付けないことでそもそも名詞の意味が変わってくるとか。対策としては使い方を意識しながら英文を読んで読んで読んで慣れろとあった。無茶だ。

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「海辺のカフカ」感想・書評

僕らの人生にはもう後戻りできないというポイントがある。それからケースとしてはずっと少ないけれど、もうこれから先には進めないというポイントがある。そういうポイントが来たら、良いことであれ悪いことであれ、僕らはただ黙ってそれを受け入れるしかない。僕らはそんなふうに生きているんだ。
上巻p343

話題の「騎士団長殺し」読みましたか?僕の手元には「騎士団長殺し」どころか「多崎つくる」も「1Q84」もなく、しかたがないから「海辺のカフカ」を再読していた。「海辺のカフカ」が発売されたのは僕が大学生の頃で、大学の本屋に「少年カフカ」が積まれていたのを覚えている。読んだのは社会人になってからだった。5年以上も前のことであり、内容はぼんやりとしか覚えていなかった。せっかく再読したんだから、ネタバレありの感想を書こうと思う。

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はてな題詠「短歌の目」2017年2月の感想と振り返り

先月同様、遊び心を基準に個人的に気になったものをピックアップして、感想などを。一応全部目を通しているんですが、数が多いんで各お題に一つということで。接戦は「3.入」でした。ついでに自分の短歌も振り返ってみたいと思います。

短歌の目2月みなさまの作品をご紹介します - はてな題詠「短歌の目」

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叔母の話

うちは祖父母も親戚もみんな京都で、歩いて行ける距離に住んでいる。だから子供の頃から親戚同士の交流が比較的多かった。盆には墓参りに一緒に行って、大文字を見たり、正月は毎年会ってお年玉をもらっていた。特に僕が幼いころは、叔父と父が一緒に仕事をしていたこともあり、毎月月末には叔父と祖父母の住む家で食事をしていた。その家は人がたくさん集う場所だった。僕は祖父母と同居していなかったけれど、そういう地方都市に特有のドメスティックな環境で育った。叔父の家に呼ばれると、僕はいつも5つ上のいとこの部屋に行ってマンガを読んだり話をしたり、おかしをもらっていたのを覚えている。誕生日にはよく、両親の代わりに叔母からプレゼントをもらっていた。うちの両親は「そういうのは持ち回りだから」と言って、叔母からもらった年には何もくれなかった。お年玉も両親からはもらったことがない。父親が叔父の会社から独立してからは、親戚とも会う機会が減った。それでも正月にはやはり、毎年会っていた。10年前に僕が京都を出てからも、正月に帰る年には会っていた。

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「爆笑問題のススメ」に見習う

昨日のリスペクターの話のつづき。

以前にTwitterで、文学界が盛りあがらないという話を見かけた。文芸誌は売れておらず、ピース又吉が芥川賞獲ったりしないと一般読者層はついてこない。その流れも極めて一部、一時的であり、安定しているのは村上春樹が既存の文学界とは別に極めて異例の形で一般読者層にも売れるぐらい。このままでは文学界は危ういのではないかというような話だった。

しかし文学賞選考への持ち込みは多いそうだ。その中でも一部は「文藝春秋」や「文學界」「群像」などといった文芸誌を一切読まず、テレビで取り上げられる有名な芥川賞を獲って成り上がりたいだけの一般読者層だという。僕自身、小説を書いたこともなければ文芸誌を読んだことがない一般読者層だ。そもそも現代文学をほとんど読まないというのもあるが(「火花」は読んでいないが「コンビニ人間」は借りて読んだ)僕みたいなときどき本を読む一般読者層が、なぜ文学界のことを全く感知せず、文芸誌を手に取ったこともないのか。それはやはり敷居が高いから。

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魅力を伝える

何ヶ月か前に岡田斗司夫が言ってた、リスペクターになりたい。リスペクターとは自分の好きなものを「推す(おすすめする)」人だ。ちまちました粗探しをする批評家ではなく、知らない人や興味ない人を簡潔にファン層に取り込む、そんなリスペクターになりたい。おすすめするのは批評よりも簡単で、ただおもしろがっていればいい。岡田斗司夫によれば「最弱は見ても面白く語れないやつ」らしいです。自分はその最弱だ。どうやればいいんだろう。

「自分を見て欲しいリア充、良い作品を勧めるオタク」:岡田斗司夫ブロマガチャンネル

※記事内容を読むのがめんどくさい人用に動画で読みあげる手法をパクっています。寝ながらでも他の用事をしながらでもブログを読めるので、ラジオ的に活用してください。

↑読むのめんどくさい人は再生(15分)

  • 遙かなる祭の高みへ
  • 誰に伝えるのか
  • 「未知の層」へ伝えるには
    • 良い部分だけを伝える
    • 悪く見える部分をフォローする
    • キモいファンを遠ざける
    • わかりやすい魅力から伝える
    • わからない人を洗脳する
  • 全ては祭のため
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憂鬱な春がやってきましたよ

春は何故こうも憂鬱なのか。日に日に日照時間が長くなり、街は明るくなって気温も上昇し、心も晴れやかになろうと思いきやところがどっこい。この内側に充満する負の感情はなんだろう。暖かくなりつつあると言っても最低気温は2℃、必要がなければ外出する気も起こらない。外のベンチに腰掛けて時間を過ごすなんてもってのほか。それどころかベッドから出る気力すらない。外はあんなに明るくなってきているのに、というのも束の間で雲が陰ればあたり一面薄暗くなる。この浮き沈みはまるで心象風景のようだ。そんなときに思い起こされるのはこの言葉だった。

アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ

『右大臣実朝』 - 太宰治

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2017年2月のふりかえり

今月は32回更新したらしい。多いな。2月はいったい何してたんだろう、ということで2月を振り返るコーナーです。本当に覚えていない。ああ、一人読み上げ録音は今月初めてやった。3回もやった。再生数5回とかであまりにもやる意味がないように思えて先週は忘れていた。以下録音した回です。

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クローズアップ現代のハルキスト特集がきつい #騎士団長殺し

2/23(木)に放送されたグローズアップ現代+は「いきなり130万部!?村上春樹新作フィーバー」というタイトルだった。この時点で「騎士団長殺し」の内容は全く明らかになっておらず、発売を目前にして番組で何を扱うのかと思えば、まさかのハルキストだった。その日はTwitterで「空想読書会」などというわけのわからないワードが飛び交っていたからおそらく見た人も多いだろう。僕は今やっと見た。地獄絵図ですね!!正直見てるのがつらいです!!毎年ノーベル賞のたびにハルキストたちがニュースに取り上げられ、その存在は知っていたがまさかこれほどとは…おぞましい!!

「空想本です」

なんと、まだ発売されていない本を勝手にデザインしちゃったようです。

新作速報!村上春樹フィーバーに迫る - NHK クローズアップ現代+

  • 吊し上げのハルキスト
  • 村上春樹、逆輸入作家説
  • 村上春樹ネタで遊ぶ人たち
  • 「騎士団長殺し」祭に参加する人たち
  • ハルキスト情報
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「本気出していない」から傷つかない心理

先日100円で買った「絶望名人カフカの人生論」を読んでいて78ページに出てきた項目が気になった。

自分を信じて磨かない

幸福になるための完璧な方法が、ひとつだけある。それは、自己の中にある確固たるものを信じ、しかもそれを磨くための努力をしないことである。

ー罪、希望、苦悩、真実の道についての考察ー

この文について以下のような解説が書かれていた。

才能があると信じて、でもその才能を伸ばす努力をしなければ、失敗した場合にも「努力しなかったから」と言い訳が立つので、自尊心が傷つかずにすみます。また、もし成功すれば、「努力しなかったのにスゴイ」ということになります。どっちに転んでもトクなわけです。そのため約七割の人はこの心理を持っていると言われます。

こういう心理を、心理学のほうでは「セルフ・ハンディキャッピング」と呼んでいます。

名前あんの!?

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  • セルフ・ハンディキャッピングの解説
  • 「それってセルフ・ハンディキャッピングだよね?」
  • 自分を振り返ってみる
  • 熱意がないのは?
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「怪しいシンドバッド」感想・書評

長いこと旅行から遠ざかっている。最後に旅行したのは去年の夏、あと4ヶ月ほどで日本に帰ってきて1年になる。どこかへ行きたい、どこか遠いところへ、そんな気持ちを常に胸の片隅に置きながらも、しばらくは眠っていた。「怪しいシンドバッド」を読んではいけない。力強く呼び起こされる。著者はこの本の中でインド、コンゴ、タイや中国、コロンビア、と世界各地を飛び回っている。全て仕事であったり取材であったりするが、中には伝統あるインディオのみが儀式で使用する「幻の幻覚剤ヤヘイ」を試しに行くという突拍子もないものも含まれている。旅行したい。目的を持たない放浪の旅みたいなのが苦手で、そういうことをやってる本を読んで憧れることはあるが、いざ行ってみると何もやることがなくて、途方に暮れてしまうのが常だった。この本のように、何かを探し求める旅行がしたい。ただ今のところ、その目当てにするものが見つからない。

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2.25はオフラインデーです

勝手に決めました。このテキストも2.24時点に書いて予約投稿しています。2.25はオフラインデーです。パソコンもスマートフォンもオフラインに徹します。デジタル・デトックスというのはさすがに無理があるから、せめてネットには繋がない日があってもいい。パソコンはWi-Fiを切り、スマートフォンは機内モード。ときどきこういうことを意識的にやっている。

なんのために?

特に意味はない。強いて言えば、都会の喧騒を忘れて田舎に旅立つような感覚。日常生活がいかにオンラインであるか実感するでしょう。禁断症状が出るかもしれませんが、落ち着きましょう。

連絡が来たら?

LINEは機内モードなので見れません。大事な用ならきっと電話がかかってくるはずです。

やることがない?

だったらオフラインの自分とその周りを一度見つめ直してもいいんじゃないですか。きっとやることだってあるはず。

大事な情報を見逃す?

それって本当にそんな大事なんですか。次の日じゃだめですか。

寂しい?

たまには寂しさを体いっぱいに受け止めてください。

いてもたってもいられない?

だったら外へ出ましょう。もう財布もスマートフォンも持たなくていいんじゃないですか。

「パプリカ」感想・書評

筒井康隆のSF小説「パプリカ」を読んだ。この人の長編小説を読むのはこれが初めてだった。代表作はなんだろうと思って調べていたら「旅のラゴス」っていうのが評判がいい。そのうち読むかもしれない。「パプリカ」の方は映画を先に見ていたため、どうしても映画のイメージが強かったが、映画と原作は結構違った。映画はいわばダイジェスト版であり、映像で魅せる演出が多彩で、内容もしっかり1時間半でおさめられている。原作はもっと長い物語を詳細に描いている。映画にあった目まぐるしく多彩な展開は部分的であり、地道なSF物語がじわじわと進む。

映画のトレーラー

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続くエンディング

終わらないEndlessではなく、Ending、終わりが続く。超魔界村で言えばアーサーがお姫様を抱いて背の高い馬に乗っているシーンがいつまでも続く。

もう終わっているのだ。アーサーのようにハッピーエンドとはならなかったが、既に終わっている。しかし、いつまでも終わっている。終わりが続いている。いったいいつまで続くのだろう?もう5年も続いている。

終わりを自覚した日

この終わりはいつ始まったのか。エンディングには、エンディングにさしかかる始まりがあったはずだ。5年続いていると言ったのは、自覚してから少なくとも5年は経過しているという意味で、それが本当に5年前に始まったものかどうかさだかではない。終わりが始まった日はあいまいだ。終わりが始まった日、日をまたいで終わりに差し掛かったのだろうか。もしくはある瞬間をまたいで。それともじわじわとグラデーションのように、いつの間にか終わりが始まっていたのか。気づいたらエンディングのさなかにいた。

これ以上前に進めなかった。あらゆる方向を試してみたが、本筋に引き戻された。本筋はそこで終わっていた。先がなかった。だからこそ道を逸れようとしていた。うまくいかなかった。そのとき、もう既に終わりが始まっていることを自覚した。

終わりとは

なぜそれをエンディングだと自覚できたか。それは実に簡単なことで、身動きがとれなかったからだ。何を考えようと、手足を動かそうと、自動的に終わりへ向かっている。物語はここまで、あとは終わるのを待つだけ、そういう段階が来ると、いくらもがいたところで目の前に待ち受けているのは閉幕しかない。その強制的な流れに逆らうことはできない。逆らったところで、残されたページには限りがある。幕は既に下り始め、舞台上では客席に向けて手を振っている。そこから何をやっても変わらない。もしかすると終わりは、もっともっと前から始まっていたのかもしれない。自覚していなかっただけで。

いざ自覚すると、案外受け入れられるものだ。ああ、もう終わっているんだ。終わっていることがわかれば、落ち着きもうまれる。あとは最後まで幕が下りきるのを待つだけ。

終わりの終わり

しかし、このエンディングはいったいいつまで続くんだ。エピローグが始まっていることには気づいても、残りが具体的に何ページあるのかわからない。エンディングはもう5年も続いている。

何故だろう。不本意な形で終わった物語を、このまま終わらせまいという意識が働いているのか。誰の意思だ。そんな意思を抱いたところで既に終わりに差し掛かり、どうにもできないことはわかりきっている。ただ不毛に抗っているというのか。それとも、それさえも踏まえた物語なのか。単純にエンディングが長いだけの駄作なのか。幕が下り始めた舞台の上で、滑稽な芝居を演じている。いつまでたっても終わりの終わりが来ない。