"人は宗教的信念によって行うときほど、喜び勇んで徹底的に悪を行うことはない"
―パスカル 『パンセ』
岩波新書「魔女狩り」(著者:森島恒雄)を読んだ。この本はドイツ、フランス、スペイン、スコットランドといったヨーロッパ諸国において、中世から18世紀まで続いた『魔女狩り』がどういったものか、その実態を調べたものだ。現代を生きる多くの人は「魔女狩り」について歴史の授業かなにかで学び、概要を知っていると思う。
例えば、ジャンヌ・ダルクの名前を真っ先に思い浮かべる人もいるかもしれない。百年戦争の英雄だったジャンヌ・ダルクは、異端審問により火刑で死んでいる。実は、これはいわゆる「魔女狩り」には当たらない。このような「異端審問」と「魔女狩り」の違いなども本書では明確に記述されている。
魔女と言えば、ディズニー映画や童話などに出てくる老婆を思い浮かべるかもしれない。しかし実際に「魔女裁判」で殺されたのは"いわゆる魔女"として思い浮かべる老婆だけではない。若い女性もそうだが、男性や子供など魔女の烙印を押された人間は、誰かれ構わず殺されている。
果たして、魔女はいたのだろうか?15世紀から18世紀の魔女裁判で「魔女」として殺された人たちは、30万から900万人と言われている(p201)。全体としての具体的な統計は残っていないため、推定にばらつきがある。ただ「魔女旋風」と記された時代においては、その具体数はかなりの数にのぼっている。
ジュネーヴでは3ヶ月に500人(1513年)、トレーヴス(ドイツ)では7000人が焼かれ、そのために二つの村は全滅し、別の二つの村では生き残る者女2人だけとなった(1580年代)。ザクセンでは1日のうちに133人(1589年)... p6
彼らは全員魔女だったのだろうか?そんなわけがないことは明らかだ。では何故このような「魔女狩り」が行われたのだろう。「魔女狩り」とは一体何だったのか。
- その前に「異端審問」
- 「異端審問」から「魔女狩り」へ
- でっち上げられた魔女たち
- 「魔女狩り」が終わった理由
- 現代の「魔女」はあなた
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