友達論について

今更ながらやっとこのnote記事を見て、一応思ったことを。

この人の友達・親友観はともかく、自分はどうかというと、まず自分には「親友」みたいな間柄の関係はない。僕にとっては、強いて言えば知人も友人も親友も同じで、友達に序列をつけることをあまりしたいと思わない。言い換えれば、そんなに親しい人はおらず、今までも出てこなかった。

学生時代より長年関係が続いている友人はいるか?地元の同級生で連絡先を知っている人はいる。こちらから連絡すれば会えるだろう。でも普段からの付き合いはない。高校に至っては連絡先を知る人がまったくおらず、大学は一人だけ。それも6年ほど前に会ったきり。会社員の頃に知り合った人で、今も連絡をとり合う人はいない。その後知り合った人で、定期的に会う人はいるけど、それは奥さんも含めたグループという間柄で、自分の個人的な友人ではない。だから個別に連絡をしたり会ったりはない。

このグループというのはまた別の話になるな。地元の同級生もグループで付き合いがあるだけで、個々の関係は希薄と言える。個別で会ったり連絡を取り合うことは滅多にない。

なぜそうなるのか。自分が友人関係を作ったり、維持することを求めてこなかったからか。それとも単に人付き合いが苦手な孤独な人間だから!?思い返せば、彼女欲しいと思ったことがないのと同じぐらい、友達欲しいとも積極的には思ったことがないかもしれない(幼少期にはあったと思う)。友達というか、その場の人間関係みたいなものは、欲しがって頑張るものではなく、勝手にできるもんだと思っている。だからそれを維持しようと、努力することもないのかもしれない。

高校生の頃、席が近い人に誰彼構わず話しかけては話し続けていた。相手が友達である必要性を感じたことがなかった。多分友達ではなかったと思う。ただ近くにいたから関わっていただけ。そういう人付き合いをずっとしてきた気がする。それで十分足りていた。それ以上を求めなかったし、きっと相手からも求められなかった。よく家に遊びに行っていた人もいたけど、それは共通の趣味とかそういうのだった。

だから友達というよりは行き当たりばったりな人間関係が、大人になってからもできては消えていく、というのが僕の友人観になってくる。それは30を越えても同じで、人間関係は身の回りで勝手に起こるものという認識になっている。長く続けば友達、親友足り得るのかもしれないが、そのへんは自分にはよくわからない。グループを除けばそんなに続いている関係はなく、それが知り合いか友達か親友かなんて、どっちでもいいじゃないかとさえ思う。

例えば映画パーフェクト・デイズの、役所広司が演じる平山さん。あれを人付き合いがなくて寂しいとか心細いとか惨めだと思うだろうか?そこで友達観もけっこう分かれるんじゃないか。あの生活が平気だったり、パーフェクトと感じる人は、生活の上でも友達を必要としていない気がする。

この夏はエアリズムで乗り切った

去年は綿のTシャツとかも着ていたけど、今年の夏はエアリズムコットンとタンクトップだけで乗り切った。色は黒です。ついでに下も黒のハーフパンツだけで乗り切った。

ほぼ毎日、全身黒一色だった。これまで黒はなるべく避けていた。理由は暑いから。でもエアリズムやタンクトップなら平気だった。汗をかいても目立って色が変わらない黒のほうがいいと思い、黒を買った。おかげでこの夏はベタつきがなく、快適に過ごせたと思う。エアコンのかかっている室内だと寒いぐらい。

そんなにか?と思うかもしれないが、着てないのと変わらない感じ。僕は今年の夏の38℃の炎天下を、エアリズムコットン1枚で1時間ばかし快適に歩いていた。何度も。

もともとエアリズムを着るようになったのは、アトロク金曜パートナー山本さんの影響だった。山本さんはTBS社内をエアリズムでウロウロしている。僕は去年タイに旅行するときに、初めてエアリズムコットンの黒Tシャツ一枚と下着を購入した。使い勝手がよかったので、今年の夏に追加で同じエアリズムコットンの黒Tシャツを購入した。

一応夏が終わり、シーズンオフのセールで1,000円以下(税別)で売っているときがある。まだまだ30℃越えの日々は続くから、今買っても重宝するだろう。暑い日々があと一ヶ月だとしても、インナーとして着るか来年着ればいい。新しくエアリズムコットンオーバーサイズというのも出ている。こちらは値段が倍ぐらいするけどお好みで。

好きを説明するのは難しい

知人にロボットが好きという人がいる。「ロボットの何がどう好きなの?」と聞くと、何も返ってこない。ただ何となく好きとか、理由はないとか、かっこいいからとか、好きだから好きとかそういう返事になる。好きを説明するのは難しい。

僕が好きな本の一つに「ライ麦畑でつかまえて」がある。僕がこの小説をなぜ、どう好きなのか考えてみた。まず主人公が良い。不器用で潔癖なところ。表面的ではなく本質的なところ。憧れるし見習いたいし、彼の言動や思想は、僕が正しいと思う感性のヒントであり、答えでもある。

そして彼は物語中うまくいかない。世の中とすれ違い、失敗する。それがとても現実的で、自分と重なる。彼の考え方が世の中からどう見られるか、小説を通して追体験する。それが自分の現実と重なり、架空の物語がまるで他人事のように思えず、自分のための大切な空間になる。

そこに純粋な憧れも重なる。主人公に共感すると同時に、彼は自分が持っていない要素も持ち合わせている。背が高くて金持ちで頭が良くて、話すのも上手く、小説家の兄がいて、自分がこうだったらとは思わないにしても、理想的なフィクションで夢がある。

主人公はニューヨークの街を逃避行する。宿に泊まり、エレベーターですれ違った娼婦を部屋に呼ぶ。ロックフェラーセンターのスケートリンクで女の子とデートする。高校の恩師とバーでハイボールを飲む。そういうのがことごとく全部うまくいかないんだけど、場所と体験が既に憧れの対象となる。ニューヨークっ子は子供の頃からメトロポリタン美術館や自然史博物館にタダ同然で出入りできる。まるで自分の庭かのように、世界最大規模のミュージアムやセントラルパークで過ごす人生なんて!村上春樹の「ノルウェイの森」は台湾でも売れたらしいんだけど、読んだ台湾人たちは東京で暮らすことに憧れを抱いたらしい。それに近い。

僕が「ライ麦畑でつかまえて」を好きな理由を説明するとこんな感じになる。身近に感じる上にさらに先を行っていて、教えのように受け取れる。そこに憧れも重なる。心にいつも留めておきたい物語となっている。今挙げた好きな理由は事前に用意していたというより、即興で思いついたことを文章にまとめた。

もっと広いテーマだったらなんて答えるだろう。例えば僕はSF作品が好きで、よく見たり読んだりする。SFがなぜ好きなのか、どう好きなのか説明するとしたらどうなるか。

SFと言っても幅広いけれど、共通して言えるのは今の時点で存在しないけれど、実現するかもしれない新しい未来を感じるところ。例えば新製品や新技術に夢が広がる気持ちをもっと拡大したのがSFにあたる。SF作品はそれっぽい検証やディテールが命だと思う。いかに実現可能っぽくリアルに見せるか。本当にあり得ると思わせるか。

自分は新しいもの好きなのだと思う。価値観や領域が広がることに好奇心をそそられる。まだ知らないことを知りたい、それが当たり前になった世界を見たいと思う。そういうのを描かれているのがSFで、SFが好きなのは知識欲、知りたい欲求を刺激され、わかりやすく提示してくれる快感があるからかもしれない。

好きを説明するには、自分の内心を言葉に置き換える作業が必要で、得意不得意もあるかもしれないけれど、これは単純に慣れだと思う。訓練の賜物。好きだけじゃなく嫌いも、楽しいもおもしろいもきっと言葉で説明できる。「それの何がおもしろいの?」と聞かれて「自分にとってはこうだ」と言えると、聞いた人間も納得して理解が広がるかもしれない。

ワクワク感とかそういう一言で片付けるのもいいかもしれないが、自分の内心に言葉で向き合うことで、自分自身に対する理解も深まる。結局好きと言っていることに変わりはなく、自分の好みをいかに噛み砕けるか。好みを語る言葉の細分化が、自分の個性を言語化することにつながる。

「あなたの好きなものは何ですか?何故、どう好きなのですか?400字以内で説明しなさい」

お題「あなたの好きなものは何ですか?何故、どう好きなのですか?」

おすすめアルゴリズムが機能したことない

古い人間なのだろうか。バナー広告もミス以外で押したことなく、Netflixもおすすめで見たことがない。Amazonはかつて一度だけおすすめされた本を買ったことがあったけど、それ以外は一度もないからイレギュラーと言っていい。YouTubeはもはやどれがおすすめかわからない。基本は登録しているチャンネルか、検索からしか見ない。Spotifyのディスカバーウィークリーはおすすめアルゴリズムなのか?あれはある意味機能してるのか。基本的に情報は自分から取りに行く方。でもアルゴリズムではない、人のおすすめは聞くかなー。今僕のおすすめはイラク水滸伝です。

おすすめアルゴリズムは基本的に類似品しか提示してこないから、だいたい「それ知ってる」「持ってる」となって興味湧かないことが多い。「これが好きな人はこれも好きかも」を提示されたところで、似たりよったりのものが出てくるばかりで新しい発見がほとんどない。だから新鮮な体験ができず、興味湧かない、機能しないということになる。というか類似コンテンツが最初に見たものを上回ることってほとんどない。

冒険したくない、類似コンテンツばかり嗜んでいたいという人は、かっこうの餌食なのかも知れない。

2023年上半期ベスト〇〇

今週のお題「上半期ベスト◯◯」

2023年上半期ベスト「映画館で見た映画」

THE FIRST SLAM DUNK

年初で見た。去年のトップガンマーヴェリックもそうだったけど、映画館で見ることに価値がある映画。それもなるべく良い映画館で。トップガンマーヴェリックは4DXで見てよかったし、ザファーストスラムダンクはドルビーシネマで見てよかった。もう一回見たいぐらい。原作を当時読んでいたから、思い入れも強い。井上さんがこれを5年ぐらい製作に関わっていて、本業のマンガ連載がストップしていたのわかるクオリティ。終わったら連載再開してほしい。

2023年上半期ベスト「配信で見た映画」

雨に唄えば

初めて見た。内容はともかく、表現がすごかった。今見てもというより、今見るから余計にすごく感じる肉体の動き。ミュージカルとか舞台演劇が好きな人はもう既に見てるんだろうな。今こんな映画作れないんじゃないか。こんなん見ると昔の映画のほうがいいって言う人の気持ちもわからんではない。

2023年上半期ベスト「配信で見たドラマ」

ナイト・エージェント

すごい良かったと言うよりは、久しぶりに何も考えず気軽に見れた古典的な北米犯罪ドラマ。こういうドラマシリーズは全然作られなくなった印象だから、たまに見るとよい。過去作を今更見ようという気にはなかなかなれなくて。

2023年上半期ベスト「読んだ本」

細雪

細雪の中公文庫は合本ですごく分厚い。モノとしても所有し甲斐があるんじゃないか。有名だけど長い本で、いつか読みたいと思っていた。やっと読んだ。予想していたのとはけっこう違った。谷崎潤一郎は本当にこういう日常ドロドロ昼ドラ的な物語が好きなんだなあ。僕はそういう好みではない。ただ読んで、この話が頭に入ったことに満足感がある。この時代の、この階級の生活臭漂う。

「人生は一度きり」だから贅沢するのか

定期的に貯蓄をしていると回答したのは黒人で33%、ヒスパニック系で36%だったのに対し、白人は29%にとどまった。「人生一度きり」といった考え方の影響も表れた。「世界的な困難を考えると、きょう一日だけを生きればよいと思う」との文章に共感すると回答したのは48%。

文脈からすると、「人生は一度きり」だから貯蓄しないで使ってしまうそうだ。世の中にはきっとそういう人もいるのだろう。けれど貯蓄をする人も、みんながみんな我慢して将来のことを考えて貯蓄しているわけではないと思う。中には「貯金が趣味」と言う人もいて、貯めることそのものが楽しい人だっている。

僕も明日や未来に備えるより、今日を十分楽しむという考え方に近い。でもそれが=贅沢する、お金を使う、にはならない。お金を使う楽しみにあまり興味がないのだろう。食べ物は全然関心ないし、物は増えれば嵩張るからあまり増やしたくない。良い物を持つと扱いにも慎重になり、気が重くなる。貧乏性なのかもしれない。お金を使うことに抵抗がある。

「いい暮らし」みたいなのにも全然興味がない。僕が貯蓄なり投資にお金を回すのは「使い道がないから」が一番近いんじゃないか。僕以外にもきっとそういう人は多いと思う。趣味人ではないから、何かを集めたとしても一時期的、良い物を買ったとしても飽きてしまう。探究心や慈善の心もない。めんどくさいが勝ってしまう。見栄を張りたい気持ちもない。

お金の使い道が豊富な人は、それだけ人生を楽しむ幅があるのだから、いい人生を過ごしている。うらやましい。興味の幅が広かったり、喜びを感じる物事が多く、それらをお金を使うだけで得られるなんて、そんなに幸せなことはないんじゃないか。自分は足りているから、それはそれでいいのか。

若いうちに身につけるといい、人前で話すスキル

数年前に、研修で人前で話すスキルを習ったことがある。これが実際、けっこう人生で役に立つなーと関心した。と言うのも僕は、子供の頃から人前で話すことはずっと苦手で、なんなら憎悪していて、なるべくそういう機会を避けてきた。だからこんな研修も本当は受けたくなかったし、やってる間もずっと憂鬱だった。でも内容はとても有用で、もっと早くに学んでいれば、いろんな場面で役に立ったのに、と思うところもあった。今は人前で話す機会はないけれど、苦手意識は薄くなった(今もやりたくはないけど)。

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考え方が変わるのは悪くない

「考え方が変わるのは悪くない」が枕詞になるとすれば、続く言葉は「でもコロコロ変わると信用できない」。

若い頃は、一貫性が大事だと思っていた。初志貫徹、道を曲げない、言葉を曲げない。一度決めたことは貫き通す。意見を変えるという行為は、裏切りに近い。Twitterなどでも有名人は過去ログを掘り返され「昔と言ってることが違う」と揚げ足を取られることがある。政治家などは特に多い。日和見主義だとか、流行かぶれだとか、自分の意志がないとか主義思想がないとか言われる。実際にそういうこともあるだろう。

特に世の中の流れが変わると、正義の中身も変わる。前に良かったことはダメになり、ダメだったことが善になる。世の時流に乗っかってしまうと、自然と自分の意見も変わってくる。考えもなしに乗っかっているだけの人は、ただの流行追いミーハーだと批判され、実際そのとおりなんだろう。逆に、世の中の流れが変わろうとも自分の意見を曲げない人がいて、例えば今日においても中絶反対派の人は少なくない。彼らは教義に忠実で、世の中の流れになど惑わされない。そういう態度がいいか悪いかっていうと、判断できない。

ロッキー4は、「自分は変えられない」と言ってリングで散るアポロと、「誰でも変われるのです」と言って観客を味方にしたロッキーを対照的に描いていた。ロッキーも「俺はファイターだ」と言って戦うことに固執し、一時はアポロの態度を受け入れていた。しかし結果として、戦うことで変われることを示すことになった。復讐のためではなく、答えを出すために戦うことを選んだ。ロッキー1からして、勝つためではなく自分を変えるためにリングに立つことを選んだと言える。

今だから話せること」。若い自分に、今だから話せることは、「変わる」ことを否定しなくていいこと。変わろうとして変わっていくこともあれば、意図せず変わってしまうこともある。必然的に変わることもある。「変わらないことが正義」ではない。「あいつは変わった」などと批判しなくていい。より大切なのは、立ち位置を把握することではないか。ロードマップを描けること。何故変わったのか、どこからどう変化したのか、何がきっかけなのか、その経緯経過が把握できていれば、説明することも難しくない。日和見ではなくなる。

自分は若い頃、保守愛国だった。伝統も天皇も尊重していた。今は違うかと言えば、少し違う。日本というルーツのアイデンティティは、今もなくはない。けれどあまり外に向けて主張するものではなくなった。海外にいるとき、事あるごとに「日本人だから」と答えていた。「日本人はこうだ」というような、自分と日本人像を重ねていた。それは日本人のイメージアップをしたかったからかもしれないが、結果的には自分を失くす行為だったように思う。枠組みに則った行動には、自分の意志が感じられない。今思うことは、日本人の評判なんてどうでもいい。自分がどうあるか。

「日本人だから」ではなく、「自分がなぜそうしたいか」に自覚的になりたかった。誰かの意見に賛同するのはいいと思うけど、流れに乗って盲目的に従うなら、そこには自分がいない。主義思想は、仮想敵に対抗するために固めるのではなく、自分の意見を持ちたいと思った。日本人はもはや共同体ではない。ルーツのアイデンティティに固執することは、滑稽にすら思える。日本人は結果的に日本人なだけであって、「日本人はこうすべき」といった思想や行動を制限する枠組みではない。

僕が若い頃には、ネトウヨという言葉はなかった。クソリベという言葉もなかった。徒党を組んで一直線に祭りを盛り上げるだけの行為は、新興宗教となんら変わりない、感情に訴えるだけの煽動。これまでにも多く見てきた。中身は何でもよくて、お祭りに騒ぎたいだけの人たち。そういう人たちから、いかに冷静に距離を置くか。理想は感情で、現実が理屈だとすれば、どちらかに偏らないように、両方を大切にしましょう。

特別お題「今だから話せること

聞きかじった太陽光発電の話

太陽光発電については、かなり前に知った情報の印象が強かった。製造コストが高いとか、発電効率が悪いとか、廃棄する際の環境負荷が高いとか。しかし最近はそうでもないらしい。

廃棄ですが、国内で既に全自動のリサイクルプラントが数か所稼働していて、数万枚の処理実績もあります。回収したパネルは100%近くアルミやガラスなどとして再利用されます。不純物が少なく再利用できるので、太陽光パネルはむしろリサイクルの優等生です。考えてみれば、ガラスとアルミとシリコンと樹脂といった少ない種類で構成されている物なので、リサイクルが容易なのは想像がつくと思います。
蓄電池に関しては、まだ経済的には回収は少し難しいです。電気自動車を購入して、毎日数十kmの通勤をするなら元は取れます。ただし災害などでの長期間の停電などには最も有効な対策になります。そうそう蓄電池を入れなくても、普通の太陽光発電でも日中は停電しても1500Wまでの電気が使えるので、結構役に立ちます。
最後に最大のプラス要素は、地球温暖化の防止策としては、既に実用化されていて安全性が高く、個人レベルで導入できるうえに、コストパフォーマンスの最も低い方法の一つだと言う事です。あなたの家、もしくはこれから建てようとする家が、ある程度の日当たりがあるようでしたら、付ける事をぜひお勧めします。

パネル廃棄に関しての問題は解決されると思います。現在は再生率95%の装置が発表され、リサイクルに関連する法も施工されますので、技術的・法的にも徐々に解決されると思います。

最近の太陽光発電は、どうやらけっこういい線いってるみたいだ。さらに、これから家を建てるにあたって、自治体によっては太陽光発電の設置義務がついたりしている。また、大手ハウスメーカーにて、新築の太陽光パネルと蓄電池の設置が、最近はほぼ標準仕様となっている話も聞いた。

いとうせいこうの、電気にまつわる本の話をラジオで聞いて、興味深かった。読んでみたい。

人は飲み歩きや風俗で借金を作るらしい

これを読んで。

仕事もしていて実家暮らしで、なぜ150万の借金を作るのかと思ったら、ストレス発散のための飲み歩きと風俗だった。そういえば前働いていたところの先輩は、借金は知らないけれど給料をキャバクラで使い果たしていた。

これまで借金と言えば学生ローンかバイクのローンぐらいで、それ以外は親にも金を借りたことがない。カードも一括のみでローン払いしたことない。大学を出てから実家を出て、お金に余裕があったわけではないけど、借金はなかったなー。だから人がどういう経緯で借金を作るのか、やむにやまれぬ事情以外では想像つかなかった。

ストレス解消も一概に責めることはできないが、昔から「飲む打つ買う」は悪徳のように言われてきた。これらに手を染めると経済観念が狂いやすいのか、借金に陥りやすい気がする。飲み歩きも風俗も、飲む、買う、に含まれるだろう。

僕は外で飲むことがほとんどなく、外食さえあまりしない。風俗も数えるほどしか利用したことがない。どちらもハマればバカ高い。ギャンブルは言うまでもなく、一瞬で溶ける。競馬、パチンコ、麻雀、何にしても一日費やせば手元に残らない。このあたりにハマってしまうと、借金まで行かなくても貯金は厳しいのではないか。このあたりを避けても、車だったりファン活動、ファッションといった趣味で使い果たす人もいる。そういう人生は満喫していて楽しいと思うけど、自分は通ってこなかった。強いて言えば、写真や旅行にはある程度費やしてきて、あとには何も残らなかった趣味だと言える。借金するほどではなかった。貯金もまあ、急に困らない程度にはあった。

ギャンブルはともかく、飲み歩きや風俗で借金するほどハマるというのは、よほど孤独だったのかと思う。一人でいられないから、お金を払ってでも人といる時間を過ごすのか。僕は「飲みの場が好き」という感覚がないから、基本家で一人で飲んでいる。そういう孤独耐性が強いというか、人と一緒にいなくても孤独を紛らわせることは、現代では特に難しくなくなった。どうしてもリアルがいい、生がいい、という人はコロナ中もキツそうだった。

飲み歩きや風俗みたいに、金のかかる手段で孤独を紛らわせるから借金に至ったのだろう。例えば、ソロではなくチームでやるスポーツのサークルとか、読書会のようなグループワークのあるイベントなどであれば、それほど金はかからないと思う。参加者同士のコミュニケーションが活発であれば、それが週末だけだったとしても、孤独に陥ることもない。でもそういうので宗教やネズミ講にハマって借金作る人もいるのか。見極めが難しいな。そのあたりはまた、経済観念が正常に働いているかどうかになってくる。

孤独耐性か経済観念か、どちらかが備わっていれば借金には至らない、気がする。どちらも鍛えるのは難しいが、究極を言えば人望をなくして一人にならざるを得ない時期もあるし、借金できなくなれば困窮生活を強いられる。どちらも鍛えることができるように思う。でも過大なストレスがかかっていたり、やむにやまれぬ事情を抱えていると、それも難しい。もしくは過大な欲求を抱えていると、健全なコミュニケーション、コミュニティでは到底解消できない。

自分はそれらにどうやって向き合ってきたのだろう。自分は金が無いという自意識が強かったため、何をするにもいかに金を使わないで済ますかしか考えてこなかった。要するにケチだった。だから結果的に経済観念が働いて、借金に至らなかっただけかもしれない。

ケチがかっこ悪いというか、みすぼらしいという価値観がある。その上でさらに人から良く見られたい心理が働き、散財するケースがある。またはケチっていることで心も貧しくなり、気が滅入る人も多い。そういう人は、欲しい物を買うことで満たされる、贅沢したり散財することで晴れやかな気持ちになる。僕もどっちもあるっちゃあるし、ないちゃあない。なくても平気でいられる状態を作り、保てれば散財することは減る。

営業が苦手っていう話

今日ポッドキャストを聞いていたら、営業が苦手っていう話を思い出した。かつて日記に書いたような気もする。

自分は会社員時代に営業職のような仕事をしていた。ノルマがあったり歩合だったりするわけではない、飛び込みとかテレアポとかもしない、相談・解決がメインというような、営業っぽくない仕事だった。上司は担当そっちのけで仕事を取ってくるような営業オバサンで、事務が苦手な人だった。その人が「営業はやっぱり人だから」と言っていた。同じ商品でも、営業担当が優れていれば買うし、売れる。それは確かに世の真理だと思う。

「営業はやっぱり人」、僕はその言葉が引っかかっていた。営業担当は契約を取っても、アフターフォローはしない。僕がいた会社は引き継ぎがしょっちゅうあり、契約後の担当はコロコロ変わっていた。人で選んだはずなのに、選んだ人は契約の成果だけ取って外れていく。気づいたら別の担当がついている。そんな体制ではたして、その場の成り行きで、人で選んで契約していいのだろうか。

僕は、商品(製品)は、商品価値で売るべきだと思っていた。説明して価値がわかってくれる人に、価値を見出してくれる人に契約してほしかった。営業担当なんかで選んではいけない。ましてや人柄なんかで商品を買っていいのか。「営業はやっぱり人」という言葉の元で結ばれた契約が、モノではなく人に金を払っていることにならないか不安だった。ちゃんとモノを良いと思っているのだろうか。人で選んでも、その人は商品ではない。

僕自身も、営業担当で商品を選びたくないと思っている。モノについてよく調べ、会社の体制や評判も調べるようにしている。いくら営業担当がいい人でも、商品が合わなければ手を出そうと思わない。だからなるべく営業には会いたくないとさえ思っている。営業の良し悪しは、物を選ぶにあたってノイズにさえなってくる。優れた営業力なんてものがあるとしたら、僕にとってそれは、モノの良し悪しを正確に説明できる人になる。それはwebページにでも書いておいてくれれば事足りる。

かつて、マーケティングができれば営業はいらないと言われていた。客層は選ぶと思う。いくらマーケティングが成功しても、待ちの姿勢の人に対して営業が有効なのは変わらないだろう。人に勧められないと意思決定ができない、隠れたニーズが本当に隠れたままの人は確かにいる。かたや、自ら調べては積極的に情報を取りに行ったり、要る要らないの判断がはっきりしていて不要な営業がノイズになる人もいる。

もしくは、忙しすぎて自分から動いている余裕がない人もいる。そういう人には向こうからやってくる営業が便利かもしれない。そうなってくると結局は相性なのかな。見極めが肝心。自分は営業を避けがち。

話を聞いてほしい人ばかりじゃない

「聞き上手な人」がもてはやされる昨今、世の中には「自分の話をしたい」「私の話を聞いてほしい」という人がいかに多いか、ということが露顕されている。話したい人がたくさんいるから、聞き上手な人が重宝される。少し前までは驚異のプレゼンとかいって話し上手な人がチヤホヤされていたのに、今は聞き上手だ!いや本当は前から聞き上手が世の中に求められていた!などという世の潮流をビシバシ感じる。

いや、それって本当か?僕の体感としては、全然そうは思わない。聞き上手どうこう以前に、自分の話をしたい人ってそんなに多いか?誰も話したがっていないのに、今聞き上手が求められていると勘違いして、「どうした?話聞くよ?」なんて聞きに入るヤカラは痛い目見るんじゃないか。

実際に求められているのは「聞き上手な人」ではないと思う。そして「自分の話をしたい」人が多いわけでもない。

僕が思うに、というか僕自身もそうだけど、まず最初に相手がいる。「聞き上手な人」、ではなく特定の誰か。その特定の相手に、自分のことを受け入れてほしい、共感してほしい。理想は、何も言わなくてもそれを実現したい。でも何か言わないと始まらないから、自分の話をする。その上で、相手が自分の話を受け入れたり共感してくれると、自分そのものが受け入れられたり共感されたり、他者との一体感を感じたり安心を感じる。

「聞き上手な人」に、自分の話を聞いてほしいわけではない。不特定な「聞き上手な人」なんて求められていない。特定の相手に「聞き上手になってほしい」が真相ではないだろうか。だから僕が聞く姿勢を見せても「お前には話したくない」「お前に聞いてほしくない」「お前に話したところでなー」という態度をよくとられてきた。どちらかというと、自分の話をしたがらない人のほうが多い。あなたには知られたくないし、理解も共感もされたくない!キモい!と思っている人のほうが、多いと思う。少なくとも僕に対しては。

人に「聞き上手になれ」なんて、求めていいのだろうか。聞き上手な人の傾向として、分析しない、自分の意見を挟まない、などが挙がっていた。それでいてさらに、親身に聞いてくれる。ちゃんと聞いてるよ感を出してくる人。僕自身はそんな人に、一切何も話したいと思わない。人に話すときは、相手に意見を求めるから話す。自分の脳で足りない見識や回転を求めて。傾聴なんてされたら時間の無駄だと思ってしまう。予想の斜め上を行くリアクションを求めないなら、道端の地蔵や飛び出し坊やに向かって話しかけていればいい。めっちゃ傾聴してくれるぞ。

聞き上手な人が求められている役割は、壁打ちの壁役であって、人間ではない。壁役は人間として見られていない。自分の内心を吐き出して写し鏡となる物扱い。思考と感情を持つ、人格を否定されている。そういう自分にとって都合のいい物になってくれる人相手に、自分の話をしたいという人がどれだけいるのだろう。その願望は非人道的ではないか。横暴だ、対価が必要だ、対価が。

多くの場合、対価は支払われている。誰でもいい人は、誰でもいい関係を築く。特定の相手とは、特定の関係を築く。せめて双方向であるべきだと思う。一方的に「聞き上手な人」を求めていると、まともな相手は離れていく。まともじゃなくなった相手は壊れていき、まともじゃない相手は自分を飲み込んでくる。

僕の場合、特定の相手というのは奥さんになるんだけど、なぜ奥さんに話を聞いてもらおうとするか。それは、誤解されないため。奥さんに限ってではないけれど、自分の意図が伝わらないことが多く、誤ってひどい解釈をされ、人として見限られることが多々ある。どうでもいい相手はそれでよくても、大事な相手だと困る。だからいろいろ話すというか弁解というか、聞いてほしいということになる。加点したいのではなく、マイナス点をリカバーしたいからどうしても聞いてくれ、という必死な態度になってしまう。向こうからすればそれに付き合うのも労力で、お前の話なんか聞きたくないとなったら終わりだ。僕の場合は傾聴してほしいわけではなく、鬼気迫っている。それが重荷なのだ、きっと。

男女の友情がどうとか

40近くなって中高生みたいな話題です。男女の友情がどうとかっていう話を最近読んで、それとは直接関係ないけれど、いわゆる男女の友情がどうとかっていう話を考えてみたい。

よく目にする話題は「男女の友情は成り立つか?」という問い。すごく大まかな話題だけど、この問いかけはおそらく異性愛者であることを前提としている。同性愛者、異性愛者、というのも一概に言えず、あまり一般化できる話題ではないのかもしれない。

当然「男女の友情は成り立つか?」という問いの答えは「人による」ということになる。成り立つ人もいれば、成り立たない人もいるのだろう。どちらかというと「成り立たない」人のほうが珍しいのではないかと思う。「成り立たない」とはどういう人なのか。異性というだけで恋愛対象になってしまう人、もしくは異性を嫌悪している人なのか。よくわからない。

自分のことだけで考えてみよう。自分はストレートであり、恋愛対象となる女性よりも、性愛関係の対象となる女性のほうが広い。セックスよりも彼女のほうがハードルが高い。だから、恋愛対象としては見れないけれど、性愛関係の対象になる層がある。また、恋愛にも性愛にも対象にならない層がいる。親や妹、親戚、年齢が離れすぎている人や、趣味から著しく外れている人などがここにあたる。僕の場合男性もこの枠に入る。

図で表すとこんな感じ。わかりにくいけど(男性器に見えてきた)、大枠があって、その中に性愛関係の対象になる枠があり、さらりその中に恋愛対象の枠がある。大枠の外側に、興味がない人とか嫌いな人がいる感じかな。

ここで本題となる友情。友情はこの枠内全体で成立するのではないか。ただし恋愛関係やパートナー関係が友情を上回るとする場合、実質友情は無視できるかもしれない。よき友人であり、パートナーであり、というのは両立すると思うが、とりあえずややこしいから友人のそれとは区別しよう。

男女の友情がどうとかって話題の対象になるのは、パートナーではない。恋愛関係でもない。男女間での友人関係とは、僕のグラフで言うところの黄色と緑、性愛関係とそれ以外の人たちの間で友情が成り立つかどうか、という話になる。僕は全然成り立つけれど、成り立たない場合とはどういう場合なのか。

簡単に言えば、相手を好きになってしまう、もしくは相手に好かれてしまうと、友人としての立場関係を維持するのが困難になる。相手を好きになると、友人ではなく恋愛関係に進めたくなる。反対に恋愛対象外の人からアプローチされても、友人関係の維持は難しい。

この友人関係の維持が難しい人とは、人を好きになりやすい人、もしくは人に好かれやすい人ではないだろうか。僕は、どちらもあまり多くないほうだと思う。だから男女の友情が成り立たないとは思ったことがない。惚れっぽい人、惚れられやすい人が、もしかすると友人関係の維持に苦労しているんじゃないだろうか。

では、惚れっぽい人、惚れられやすい人とはどういう人なのか。このへんはもう自分の知らない領域なのでわからない。きっとそれぞれ苦い経験があることでしょう。

今週のお題「おすすめブログ紹介」

おすすめブログ紹介

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アミング潮江プラストいきいき

亡くなった父親の戸籍謄本をとるため、兵庫県尼崎市に行った。尼崎の市役所に行かなくても、JR尼崎駅にあるJR尼崎サービスセンターで戸籍謄本がとれるそうだ。そのサービスセンターが入っている建物が、JR尼崎駅に併設している。施設の名前はアミング潮江プラストいきいき。

「アミング」「潮江」「プラスト」「いきいき」 である。4つもの単語で構成されている。どういう名付けなのだろう?潮江はきっと地名だ。ではそれ以外の「アミング」「プラスト」「いきいき」とは一体なんなのか?

ここはいわゆるデパートのような複合施設で、正確にはアミング潮江プラストいきいき館と「館」がつく。周辺にはアミング潮江プラスト、アミング潮江ウエストといった系列施設がある。ウィキペディアがあった。

アミング潮江 - Wikipedia

中身を見ても、結局「アミング」も「プラスト」も「いきいき」もなんなのかわからなかった。いきいきは活き活きなんだろうけど、「アミング」「潮江」「プラスト」に「活き活き」と続けられても言葉が全然つながらない。「いきいき」というからには、きっと活きがいいのだろう。活きがいいと言っても思い浮かぶのは魚で、活魚と言ったりもする。しかしJRの駅前にあるデパートで、きっと魚は売っていない。いきいきフォーラムとか、老人の生きがい施設的な意味合いでの「いきいき」なのだろうか。そろそろアミング潮江プラストいきいきに入っているテナントが気になってきた。

店舗ガイド

1F

TSUTAYA(レンタル)/サロンドアベニュー(理髪店)/カフェ・ド・クリエ(飲食)/ローソン(コンビニ)/モスバーガー(飲食)/大手前薬局(調剤薬局)/三井住友銀行ATM(ATM)

2F

ダイソー(物販)/ファッションハウスアリス(物販)/東急リバブル(不動産)/白木屋(居酒屋)

3F

尼崎市市役所 尼崎サービスセンター(行政)/小田地区保健福祉申請受付窓口(行政)/天使のわらびもち(飲食)/鶴橋風月(飲食)/サイゼリヤ(飲食)/餃子食堂マルケン(居酒屋)/金魚(居酒屋)/韓国家庭料理 チョウォン(飲食)

4〜5F

ラウンドワン

アミング潮江プラストいきいき館|JR西日本不動産開発

なんか微妙に懐かしい名前に、ローカル店舗が続く。いずれもごく普通の、ありきたりな店だと言っていい。これといって「いきいき」要素は見受けられない。「アミング」要素や「プラスト」要素だってわからない。とにかく駅前に市役所のカウンターがあるのは便利だった。これからもアミング潮江プラストいきいきを応援しています。

これから夏に向けてやること

時間が吹っ飛んでいた。そろそろ自分に時間を使いたくて。

ワクチン3日目接種

何をするにもまず、ワクチン接種がいりそうだ。今のところ外国に行く予定はないけれど、海外渡航をするためには3回目接種が必須条件となってくる。受入国やその他空港などによって事情は違うと思うので、予定がある人はそれぞれ確認してください。

3回目ともなると、個別も集団接種も予約が取りやすい。去年みたいに一ヶ月待ちとか二ヶ月待ちの必要はなく、月内で予約が取れた。

最近も知り合いに感染者が出て、まだまだ全然身の回りに存在することを実感する。ワクチン接種済だったから無症状と言っていた。ヨーロッパの方では「まだ罹ってないの?」と言われることもあるとか。それぐらい感染が身近なことになっている。2年前はあれだけ大騒ぎしていたのが、ワクチンのおかげでこれだけ軽々しい話題になった。

佐藤健寿展 奇界/世界 に行く

佐藤健寿展 奇界/世界

兵庫県西宮市の大谷記念美術館というところで6月5日までやっている。その後は6月18日より高知県立美術館へ移動する。西宮なら日帰りで行けるけど、高知に旅行がてらに訪れるのもいいんじゃないか。今はローカル美術館めぐりがちょっとした遊びとしてもてはやされている。僕個人的には、図録がほしい。

佐藤健寿が何者かって話はこのあたりを参考に。

写真家、佐藤健寿についてのメモ - Letter from Kyoto

BRIAN ENO AMBIENT KYOTO に行く

BRIAN ENO AMBIENT KYOTO – ヴィジュアル・アートに革命をもたらした ブライアン・イーノによる音と光の展覧会 BRIAN ENO AMBIENT KYOTO 2022.6.3金~2022.8.21日 11:00-21:00 京都中央信用金庫 旧厚生センター(京都駅徒歩5分)

ブライアン・イーノについては、先日のアトロクでも西寺郷太さんが「最高の家庭教師」として紹介していた。デヴィッド・ボウイ回なのに半分ブライアン・イーノ回になっていた。コーナーの最後でも AMBIENT KYOTO について触れていた。何やら京都でブライアン・イーノの展示会があるらしい。

6月3日より8月21日まで開催されているから、てきとうに空いているタイミングでいいかなと思う。前売りチケットを購入できるけれど、全部の日程で満席なんてことはきっとないだろう。これは地元京都でなければ行かなかった。京都で開催してくれて嬉しい。

今はウータン・クランの伝記ドラマ、Wu-Tang: An American Saga を見ている。シーズン1の6話ぐらいまで来た。見ていてなかなかおもしろい場面に行き当たらないんだけど、90年代ヒップホップの空気を感じられるファンドラマとして見ていられる。役者はゲットダウンの人などが出ている。

映画シン・ウルトラマンも見に行くのだろうか。今のところ未定。5月13日より公開予定。IMAXレーザーも4DXもMX4Dも見たことなくて、一度見てみたいと思いつつも現行のドクター・ストレンジには興味がなくて。

マンガで見かけた絵金祭り、今年は開催されるのだろうか。

土佐赤岡絵金祭り 公式ウェブサイト

夏に向けて、これからやりたいこと、行きたいところはまだまだ出てくるはず。