調理者の気持ち

私はよく飯を残す。正確にはあとで食うんだけど、とにかく
一度に食えないことが多い。昔からそんなに食う方ではなかった。
おかわりなんぞ、ほとんどしたことがない。

そもそも、食うこと自体にそれほど関心がない。
他にも人生のあらゆる事に関心がないんだけど、食うことも
その一つで、好きな食べ物を挙げろと言われるとむずかしい。
嫌いな食べ物は、味が嫌いというよりも体が受け付けない、
体調を壊すようなのはいくつかある。食べ物に関しては嗜好より
体の反応のほうが前に出ている。

「〜が食いたい」などと強く思うことは滅多にない。
食事については大抵が本当にどうでもよくてなんでもよくて、
食べることでどの店だとか、どの地方の何がうまいだとか
いちいち喜べる人に比べたら人生を30%ぐらい損している気がする。

食事に関心がないから、当然作る方にも関心がない。
ちゃんとした料理は2回ぐらいしかやったことがない。
自分が作ったものなんかは心理的にうまいと思えない。
面倒だし、わけわからんし、それだけする価値ないなと、
どちらにしろ料理は人に食わすもんだなあとその時思った。
なんでもそうだけど、労力という負担が価値を下げてしまう。
人にやってもらうってのはやはりそれだけの価値がありますな。

で、ここまで書いてようやく本題なんですが
俺は、他人が作ってくれた料理をたくさん食べるのは
はしたないことだとずっと思っていた。小さいときからずっと。
基本的に外では落ち着かないから食欲もわかないんだけど
他人の家で他人が作ってくれた料理はいつも遠慮がちに食べて
たまに残したりしていた。人の家でよく食うのは厚かましいこと
という貧乏人的な発想が子供の頃から根付いていたのだ。

で、それが間違っている、というかずれていることを
去年ぐらいに知った。テーブル上のマナーみたいなもんで
「がつがつ食わない」ぐらいはあるだろうけど、
「出されたものは残さず食う」っていうのが、いくら小食でも
守らなければならないことだったそうだ。
全部食われると作った人からすれば気持ちがいいらしい。
そういう作る側の気持ちは俺には一生わからないだろう。
でもそれ以後は一応気をつけている。元々、まずくて残すなんて
よっぽどでない限りしなかった。食えなかったから残した。
でも頑張って食います。