終戦記念日について

もうだいぶ前なんですが、今更なにを言うかって事でもなく、ただ「終戦記念日に九段へ行く」という夢というかある種の目標というか、そういうのがありまして、今年はお金が無くて行けなかったけれど、今思うと無理をすれば鈍行で行けんこともなかったわけで、己の行動力の無さや、終わってから気づいた発想の貧弱さに呆れるばかりで、それはいいとして、もし来年行けたら行こう、うん。

あ、いや、それもいいとして、それどころか、地元にある護国神社には先月初めて足を運びまして、パール判事の碑を見て携帯で写真を撮ったりしながらなんかあまり何も考えず帰ってきてしまったんだけれど、15日に九段へ行けないならせめてこっちへ行っておくべきだったと、それも終わってから気づいてしまった。ああ不甲斐ない。ついでに15日はどう過ごしていたか思い出してみると、昼に起きてその時点で黙祷かなんかも終わってしまっていて、飯食ったりふらふらしてる間にバイト行く時間になって行って帰ってきて一日が終わってしまった。計画性を持って人生を過ごしていくということがとても大事なのではないかと思われますはい。今年の目標は倹約と計画でした。

あと、アホの一つ覚えみたいに「平和を尊重」などと抜かしているヤカラが気に入らない。平和ってのは一国の事情でどうにかなるもんではなく、日本がいくら「せんそーしませんぜったいしません」なんてアホみたいに言ってたって攻めてくる奴らは攻めてくるし、そこで戦争回避とかいいながら無抵抗のままで虐殺されるのをよしとするのか?おまえはいいかもしれないがおまえの親兄弟や恋人や親友や愛する人が惨殺されてリンチされて奴隷にされる姿を黙って見て「それでも戦争しない平和が一番、俺たち正しい」などと偽善者ぶった優越感に浸り続けられるのか?

実際に奴隷支配されていた近隣諸国や、白人の侵略によって滅ぼされた国々を見てもわかるように、大日本帝国にもまさにそのような危機が迫っていたわけで、それに抵抗、対抗、守る手段の戦争である。朝鮮半島・満州はロシアからの侵攻を防ぐ生命線であり、大東亜諸国解放は資源ルートを断たれた日本を守り、維持するための苦肉の策であった。その代わり、戦中戦後とも日本は東亜諸国の独立を助けている。誰も戦争を望んでいなければ、当然そのようなことは起こらなかった。しかし当時は、弱肉強食の世界で攻めてくる国はいくらでもあり、放っておけばただやられるのを待つのみであった。

戦争は一国で起こらない。相手国がある。背景がある。流れがある。天皇陛下は最後の最後まで平和を望んでおられた。仕えていた役人もそれに答えるべく努力を尽くした。しかし、アメリカは初めから戦争するつもりだったからこちらの譲歩に次ぐ譲歩も受け入れず、一方的に国を維持できなくなるような要求をふっかけてきた。我々の祖父・曾祖父たちは、「奴隷になるか、勝てる見込みが無くても戦うか」という選択を迫られていた。戦争には負けた。結果、戦後になっても何千人もの日本人が殺され、それ以外にもレイプされ、リンチされ、苦汁をなめ、多大なる屈辱を味わい、しかし、それでも、奴隷支配・国家滅亡には至らなかった。それは、「抵抗する」という選択をしたからこそだと思っている。

ただ闇雲に戦争反対などと抜かすやつは何を考えているんだ。まさか日本がわけもわからず好き勝手にやりたい放題侵略したとでも思っているのだろうか。不戦の誓いってなんだ、奴隷宣言か。アメリカ様が守ってくれるとでも思っているのか。確かに、日本が侵略されればアメリカ参戦の口実にはなるかもしれない。それだけ。あとは自分が戦争に行くのが嫌だから、やりたくない怖い、それだけなんだろう。そんなもん誰だって嫌だ。あの時代の日本にどういう選択が出来たと言うんだ。しかし、戦争反対とか何も考えずアホみたいに言ってる奴らは、平気で奴隷になったかもしれない。その後にこんはずじゃなかったって思うんだろうか。わけわからんくなってきた。