お金について

金持ち喧嘩せずとはよく言ったもので、
お金を持っていればこんな思想は無用であり、
生まれてこなかったであろう、貧しさを呪う。
というほどでもない。
私と誰かでよく交わされた会話があった。

・「誰が支払うか」問題
飲みに行きました。私は外食嫌いで、食も細く、お酒も弱く、
人と騒ぐのも嫌いで、行きたいというバイアスが働きません。
さらに高いときている。家で一人で飲む方が余程自分の体にも
心にも優しい。
ただし、この人とだったら行きたい、とか、
このメンツなら、この場所なら、この流れなら、という
特別な場合があり、その時は積極的です。
でもその特別な場合を誰が判断できるか。
無理でしょう。かなり強引に誘ったならわかりますが、
それだと逆に誘われた方が冷めるかも知れません。

それはいいとして、人は誰かと食事に行く際、
AとBにしましょう、AがBを誘った場合、
そこでBが了承しても、AはBが好んで来たのか、
なんとなく来たのか、嫌々来たのか、
判断のしようがありません。嫌でも日本人は来るから。
Aはいいです。自分が誘ったのだから行きたいのでしょう。
しかしBはわかりません。行きたくないことに
時間と金を費やしている可能性があります。
喜んで来ているかも知れない。わからない。

ここで、提案なんです。誘ったんだからおまえが払えA。
ワリカンとか甘えんな。
ここでもしBも楽しんでいたら、今度はBから誘う→
Bが払う→チャラになる 何もケチることはない。
誘われなかったらおまえとは行きたくないんだよ。
盛り上がって楽しかろうがいまいちだろうが、
今回おまえは誘った責任があるA。だから払え。

逆もある。Bからすれば、Aに付き合ってやったんだから、
今度はこっちに付き合えと、B的な場所へ誘う。
断るなA。今後おまえは誘わねえし誘われても行かねえ。

さらにここに、経済格差がある。
BはAに誘われて楽しかったから、今度は自分が誘う。
Bが連れてきた店安かったからって文句言うなA。
ここが俺に払える限界だ。店が嫌なら俺の経済圏でおまえが選べA。

思想というよりただの根性の悪い愚痴みたいですが、
これらは仮定論です。