書留

大学へ入る前から、家の仕事は大変になっていたようだ。家では、小さな印刷所をしていた。どこからか引き継いだ古い印刷機を少しばかりかかえ、朝から夕方までガシャガシャと鳴り響いていたが、その音も心無しか短くなっていた。僕が私立大学へ入学したため余計な財を費やさなければならない上に、自分らの仕事まで立ち回らなくなっていたとは、親はさぞ難儀であっただろう。僕は今まで通り、大学へ入ってからも家の仕事を手伝っていた。初めのうちは、人が辞めていった。辞めたというよりは、解雇していたようだ。元々人の多い事務所ではなかったが、一人ずつ減り、最後は僕の家族と、長く勤めている人二人の5人だけとなった。

人が減るにつれて僕が行える仕事は増え、僕は今まで以上に手伝うようになった。残った二人は営業を、僕は事務所で電話応対から機器の点検、集金など、主に雑用であったがやれることはなんでも代わった。大学も休んで手伝っていた。大学は、週に2日ぐらいしか出ていなかっただろうか、講義は出席を数えないものが多かったが、数えるものは残らず単位を落としていた。中には必修の講義も含まれており、時間を取って補修などへ出向き、なんとか単位を拾えたものもあったが、多くの学生が24単位取得していた時、私の取得した単位は12であった。

大いなる理想を抱いて入学した者以外の多くの学生がそうであったように、僕は大学へ行く意味がわからなかった。就職のため、働きたくないから、遊ぶため、みんなが行くから、それが果たして、本当に意味なのだろうか。そのために行くべきところが本当に大学なのだろうか。大学はその機能を十分に果たしているのだろうか。違和感を抱きながらも仕方なく4年間通い、適当に好きな事を見つけ、時間を費やし、3年生の後期わずか3ヶ月か半年間に面接を受ける会社の事を学び、無事内定を得て卒業していく。僕の時代の学生は、そういう人が多かったように思える。そこには、大学構内での毎日など、ましてや大学で行われる講義の内容などは、極めて小さなかけらに過ぎない。大学生という分類を決定付けるはずの大学の講義、年間数百万の授業料の全てが。それも昔からなのか、今後もずっと続く大学の姿なのか、それとも僕が入ったような誰でも入れる大学だからそうなのか、でもおそらく大半はそういうものなのだろう。

僕は別にアルバイトを行うようになった。家の仕事を手伝う時間を減らし、他で稼いで入れた方が効率が良くなった。家の仕事はそれほどまでに苦しくなっていた。家からも大学からも少し離れた小料理屋で、週3日、多い時は5日、洗い物をしたり、料理を運んだり、お酒を作ったり、配膳の仕事を行った。帰り際には気持ち程度の賄いが出た。それは食事というのはあまりに見窄らしく、残飯という言葉がふさわしかった。当然、アルバイトを行う事で、さらに時間はなくなった。大学で知り合った人間にもいろいろ聞かれた。「何してるの?」「また来てないだろ」「遊んでるのか?」僕は何も説明はしなかった。説明するような事ではなかった。数少ない登校の日、入学した時にたまたま同じ講義を取り、いつも近くに座った人間とは会うたびに話をしていた。
「バイトをしているのか?」
「してない」
「なにやってんの?家に居るわけでもないだろ」
それ以上話さなければ誰もそれ以上は聞かなかったので、この話はいつもここで終わった。彼とは本の話をしていた。私の隣に座っていた男が何かを読んでいたので、尋ねると、背表紙を見せてくれた。「武士道」であった。痩せて眼鏡をかけ、まとまった髪をその男にはとても似つかわしくない本であったが、彼も後ろからそれを覗き、違和感に戸惑っていた。その3年後ぐらいに武士道についての本が書かれ、売れ、その当時武士道は一躍流行となっていたが、隣の男がそれを読んでいた頃には誰も読もうとは思わなかった。

私はその日、日本語の講義を受講しながら「異邦人」を読んでいた。留学生用に用意された講義であり、外国人向けに日本語の文法などが説明されていた。「〜に続く言葉は〜であり」などといった、日本人は何も考えずに行っている言葉の繋ぎ方などを丁寧に説明し、アジアの学生たちは熱心にノートを取っていた。僕は出席するごとにひたすら本を読んでいた。ここに来れば本を読まなくてはならないぐらいに思っていた。この講義は彼と一緒に、「何もしなくても単位が取れるようなのはないものか」と講義要項を何度もめくり、隅から隅まで目を通して選んだものの一つであった。他に外れもいくつか引いたが、この講義は当たりであった。彼は来るたびに机に顔を伏せて寝ていた。出席自体は当然彼の方が多くしていたが、二人とも出ても出ていなくても同じであった。
「何読んでるの?」
いつぞやの男が行ったのと同じように、僕は背表紙を見せた。
「カミュか。アルベールカミュってセインカミュの親戚なの知ってた?というかセインカミュがアルベールカミュの親戚か、ランク的に。カミュはノーベル賞作家やもんな」
「そうなのか」
「うん。まあ有名な話なんやけどな」
僕は作家自体に興味がなかったので、そんな事は知らなかったし、ましてやセインカミュと血縁である事などは、事実であれば、作家にとって汚点にしかならなかっただろう。
「俺も読んだ事あるけど、クライマックスに来るまでかなり大変やな。外人の小説って最初ダラダラしてて読み進めんの大変やわ。裁判のとこは確かに面白いんやけど」
「俺二度目だけど、好きだよこれ。確かにそういうところあるかもしれないけど」
「カミュはカフカとかと並んで不条理を描いた作家やから、俺も好きな種類やけどな。俺も読み追えた時は周りの人に読め読めって勧めたわ。親にまで勧めたけど3ページぐらいしか読まんでずっと置きっぱなしになってたから勝手に返してもらったわ」
彼はその、作家に対する評論とかそういったものを雑誌かどこかでよく読んでいたようで、いつも脇の知識を持っていた。
会話はその程度で終わり、彼はまたいつものように顔を伏せて寝だした。彼と本の話をしても、全く噛み合なかった。同じ本を読んでも読み方が全く異なり、彼は本の中の作家を読んでいた。僕は物語が好きで読んでいたので、同じ作家のものを片っ端から読んだりはしなかったが、彼はそういう読み方をしていた。だから彼は、作品として評価が高い有名な小説よりも、作家の色がよく出ている作品を好んでいた。それがその作者を代表する作品である事も中にはあったが、大抵は一般読者には名前も、存在すらも知られていないような短編であったりすることが多かった。彼はよく「こういうところが好きだ」と口にしていたが、多くの作品論のように読み方や意見、解釈を押し付けたりはしなかったので害はなく、お互いそういった話を出来る友人がいなかったせいか、全然噛み合ないにもかかわらずいつもそういった話をしていた。