回想

あなたたちをよく知らない。でも、知る限りでは、僕はあなたたちを少なからず尊敬している。

実家に帰ると、昔の携帯があったので、充電をしてメールを見てみた。1台はおととし、もう1台はそれより前だから3年以上前のもの。

メールの中身は実にくだらなく、また、自分はアドレス帳に登録しない癖があるので誰から来たものかもわからず、こんなことばかりやってたんだなあと。

あとから好きになった人が、当時ウィーンに行っておみやげに奇抜な下着を買ってきてくれたけど恥ずかしくて渡せないなんてメールが残ってました。初めての海外旅行だったらしく、とてもはしゃいでいる様子が伺えました。

バイト先の綺麗だった人と仲良くなろうとして送っていたメールも残っていました。彼女は一見変だってけど方向性は普通で、結局お互い噛み合ってなかったなあ。

就職活動で知り合ってマクドナルドで話し合った人とのメールも残ってました。あまりにまともな人だったので余計な事言うと全力で引かれそうだったからほとんど中身のない絡みとなってました。

お互い繋がり続けようって意思がないとすぐ途切れるもんですね。特に男女は嫌気がさすと即座に打ち切られるものです。自分は押しどころというのが全くわからなくて、押されるのを待つばかり、下手に押してしまう事も何度かあって大失敗。上手く押せたらもう少し人間同士のいい関係を築けるのに、実に不憫な、難しい、持ち合わせです。求めるから得られ、求められるから与えるという理想にはほど遠い。

一時期は万能感に浸っていたこともありましたが、特定の対象を見分ける事が出来るに過ぎず、対象を選べない時点で不能と同じでございます。

つい2ヶ月ほど前も、実にユニークな女の人がいたけれど、全く押しどころがわからない私は、関わり合いと呼べるほどの時間を持つこともなく過ぎ去って行きました。
どうやら笑いを共有できることが、自分が相手に興味を抱ける、会話が成り立つ最低条件のようで、それは男女関わらず同じ事なんですが、その点ではわかりあえたその人は実に惜しかった。

去年の秋にもそういうことはあった。なんだかこの不遇を解決出来れば少しは人間関係も築けるようになるだろうに。

何を思って、何を考えて自分は暮らしていたんだろう。