新環境

享楽のない、楽しむという感覚を持たない我々にとって、生活とは拷問である。苦しみ、痛み、傷、恐怖、不安、それらを我慢し、衰弱し、休み、死ぬまでそれを繰り返す。
しかし、それ以上にきついのがこの、休日である。毎日の負荷が減るこの休日には、耐えるものもなく、気が紛れない。体は残り、神経が鋭敏になり、思考は回り、気が滅入る。

生活共同体というのは、皆がある一方向を向いて、手を取とり合い、肩を組んで進まなければならないから、必然的に同じものを求められる。
上から下へ、団結するために同じ流れに乗り、同じ歩幅で同じ起伏を描き、歩まねばならない。
異端である私は、今までそういった共同体に属した事がなく、属せなかった。必要がなかったために、退いてもいた。居心地が悪いからである。
所属、ということはしなかったが、私が居る事の出来る場は決まって、バラバラの人間が集まる場であった。乗りも流れもバラバラで、誰が何やっても気にもされない。みんなで盛り上がる事は無いが、誰かのせいで盛り下がる事も無い。それ以前に、盛り上がるなんて温い事自体が不可能で反吐が出る人が集まっていた。
今居る環境は非常に居心地が悪い。不愉快である。共同体の中に居て、属する事も出来ない。不可能であり、望みもしない。体に合わない。
低俗で一般的で味気ない大衆文化滅びろ。