愛について

「君。」
「はい。」
「愛とは何だと思うかね。」
「愛、でございますか。」
「そう、愛だよ。」
「はて。」
「愛とは、受け入れる事だと言うね。」
「はあ。」
「愛とは、互いを受け入れる事である、と。では、愛の対極は、無関心だと言うね。無関心、相手に対して興味を示さない事を言うが、これは受け入れる事となんら変わりないと思わんかね。」
「はあ。」
「すなわち、愛が受け入れる事であり、愛の反対が無関心であれば、愛とは一体なんなのだろうか。受け入れる事と無関心である事との違いはなんであろうか。全く同じではなかろうか。同じだとすれば矛盾しておるね。同じなはずは無い。愛と無関心は紙一重だという意味であろうか。例えばキリストが全人類を愛している事は、全人類に対して無関心である事と同じことにならないか?確かに、私にはキリストが全人類に対して、個々の愛情は示さないような気がする。それは全人類に対して無関心であるという事は言えないのかね。であれば、愛している事と愛していない事をどう区別すればいいのか。愛故の許容であるか、又は、単に無関心であるのか、端から見分ける事は出来ると思うか?ましてや、そこに違いは存在するのであろうか。愛と無関心の違いとはなんであろうか。違ったとして、果ては、如何に見分ければ良かろうか。」
「わたくしには、よくわかりません。」
「そうか。」

「では、君は私に対してどういう感情を持っているのだ?」
「私、でございますか?」
「そうだ。」
「私の、感情でございますか。」
「そうだ。君の、僕に対する感情は、愛なのか?無関心なのか?」
「私は、」
「私は、憎悪でございます。」
「憎悪?」
「はい。憎悪でございます。」
「僕に対して、憎悪か?」
「はい。あなた様を切り刻まんばかりに憎んでおります。」
「それは、やっかいだな。」
「はい。」
「それは、何故だ?」
「愛でございます。」
「愛、なのか?」
「はい。わたくしの憎悪は愛故でございます。」
「愛とは、憎悪なのか。」
「はい。」