葬式について

知り合いの方の父親が亡くなられ、昨日通夜があった。

他人の通夜で関係ないことを思い出すのは申し訳ないけれど、葬式と言えば、Xのhideの葬式を思い出す。
当時中学生だったと思うが、天声人語でhideの葬式について書かれていた。いつも態度の悪い若者が、礼儀正しく、涙を流しながら故人を偲んでいる、いい葬式だった、とかそんな内容。 
これ見て思ったのが、慕われないのは本人が悪いんじゃないの、ということ。どんな人であっても、態度が悪いとか、生意気だとか、そういうのは相手によって変わる。相手が変われば礼儀正しくなり、慕ったり尊敬したり見習ったりする。
それがある人に対しては決まって態度の悪いのであれば、その人自身の問題じゃないのか。いくら態度を改めろと言ったところで、意味がないのではないか。まずは自分が慕われるための努力をするべきではないか。慕われようとする努力が実を結ぶか否かは別問題だが、もし良い態度をとって欲しいなら。
慕われる要素が無いにもかかわらず、慕われなくて文句言うのは、単にわがままな子供と同じではないか。
葬式とは直接関係のない話になりました。偲ばれる故人は、やはり慕われていたんだ。
葬式へ出ると、いつも自分が死ぬ時のことを考える。自分の親族や、自分が死ぬ時のことを。このような死に方は迎えられないだろうということ。人に慕われ、長寿を全うし、皆から惜しまれて死ぬ姿を見ると、別世界のことのように思える。人にとっては現実で、自らにとっては、非現実的な眼前の光景。自分の親は哀しむだろう。堪え忍ぶことは、難しいかもしれない。自分を現世に縛る、一番強いものが、それにあたる。親。親の無念。自分には無念はない。