文学と精神病について

先日、夏目漱石の行人をKindleで読んだ。夏目漱石の本では一番好きな作品です。
 
 
読むのはこれで3回目だけど、改めて文学と精神病が近すぎることを感じる。夏目漱石でさえそうなんだ。太宰治や高村光太郎の智恵子抄なんかは露骨過ぎる。
村上春樹もノルウェイの森ではそのまま扱っている。芥川龍之介も後期は狂気を感じる。歯車とか。ドストエフスキーは外国だからそういうもんかなと思いがちだけど、まともに読んだら頭おかしい人しか出てこない。
 
文学は、国語の教科書というより精神病の教科書じゃないか思うぐらい、近い場所にいる。狂気となんら関わりのない人や、まさに病める人たちに、なんのこだわりもなしに読めとはとても言えない。巻き込んでしまいそうで恐ろしくなる。
そのあたりの予備知識というか、これ読んだらつらいですよ、病的ですよって前提はあらかじめ共有しておいた方が安全なのではないか。僕がたまたま病める書籍ばかり手にとっていたのだろうか。それにしても意図ぜずそういう世界に触れてしまい知らなくていいことを知ってしまう人が出ているに違いない。何の気なしに本屋に置いてあるそれは、毒を帯びている。触るな危険はアナウンスしてあげよう。また、これらの作品群がさらっと国語の教科書に乗ってたりするのはあまり良いことだと思えない。
 
精神病とは違うけど、文学作品は基本的に性描写も激しい。文学はそういうもんなんだけど、それを知らない人が国語の勉強しようと思って読んだらショックがでかいんじゃないだろうか。
 
ついでに、行人という本の内容は、何事にも神経質すぎる大学教授の兄と、それを心配する、世渡り器用な弟の話でした。著作権切れているのでKindleでは当然無料です。長野一郎は、僕を所有している。