コンプレックスは何から生まれるか

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誰しもが、自らに対して何かしらのコップレックスを持っているだろう。容姿、学歴、財産、訛り、病気、国籍、いろいろなコンプレックスがあると思う。それらはいったいどこから来るのか。
数あるコンプレックスは、人の真似をすることから生まれる。その過程を見てみよう。
・可愛い子がいる
  ↓
・仲良くなりたいと思う
  ↓
・どうすれば仲良くなれるか考える
  ↓
・仲良さそうにしているやつがいるのを発見する
  ↓
・やつを観察する
  ↓
・そういうふうにやれば仲良くなれるんだ!
  ↓
・「ねぇねぇ!」
  ↓
・真似してみる
  ↓
・「えっ…」
  ↓
・キモがられる
  ↓
・なぜだ!なぜうまくいかない!
  ↓
・同じ事をやって、あいつは良くて俺はダメで…
  ↓
  ※ 
人の真似をすることで、同じ事をやったにもかかわらず他人は良くて自分はダメ、という結果が残る。
自分の何がダメなんだろうと考えた時、他人との比較が生まれ、それがコンプレックスとなる。
恋愛に限らず、スポーツなどで同じ結果を得ようとしても、あいつにできて俺にできない、バスケットで勝ちたくても、あいつは背が高くて俺は低いからブロックできない、とか。 
他人との比較は全て、他人の真似から生まれる。つまり
同じ過程を経て同じ結果を得ようとするからそこの個人間のギャップが明確化され、それが他者との比較になりコンプレックスにつながる
では、コンプレックスをなくすにはどうすればいいか。真似しないことだ。自分なりの方法論で物事に取り組むことが、コンプレックスをなくし、課題を解決したあかつきには自分に自信をもつことにつながる。
自分の望む結果を導くために、自分の方法をとる。他人が望む結果のために他人のやり方で行動していれば、いつまでもコンプレックスに悩まされる。 
他人との比較は競争心を生み、そのエネルギーが爆発して思いもよらない良い結果を招くことも多い。一般的にはそれを奨励して競争を煽る声のほうが大きいだろう。
でもその競争心の裏には、嫉妬、恨み、怒り、憤り、悔み、そういった負の感情しかない。後にこれらが克服され昇華されるとしても、僕はそれが健全な動機だとはとても思えない。
憧れ、羨望で、人を真似することはあるだろう。そこでうまく行かなければ悲観せず、自分を知る機会だと思ってほしい。「頭が悪いからだ」とそれをコンプレックスにせず、自分なりの結果を出すため、自分の手段を見つける機会と捉える。
そもそも身の程知らずではなかったか?その結果を得るには自分にはどういった努力がどれだけ必要か?自分にできることはなんだ?自分が本当に望むことはなんだ?やりやすい手段はないか?向いた方法はないか?他のルートで本当に満足のいく結果を導けないか?
自分の手法、自分の得意なこと、自分を知る機会のみとして他人の真似は捉えたらいいと思う。「この人はこれでうまくいった、なら自分は、」といった具合に。 
自分が望む結果に他人の方法論で辿り着くことはできない。プレーヤーが違うんだから。