世間一般とネットヲッチャーとギークの解離性

これは今までにも散々呟いてきた事だけど、常識の差というか、基準の違いというか、解離が激しい。同じネットなのに。

話が通じない

世代間でも当然解離はあるが、同世代においても激しい。今の子はどうなんだろうか。

私の世代というのはちょうどweb導入世代であり、webに触れた人と触れなかった人との解離は、同世代においても1世紀分ぐらいある。上の世代とは更にある。今の世代はみんな同列なのだろうか。
私はヲッチャーの位置にあたる。webなりプログラムの専門的な事は一切わからない、消費者としてのweb利用者。

世間一般

世間一般の人は、1週間に1度もパソコンの電源を入れないそうだ。仕事では使うが、パソコン持っていないという人も結構聞く。それも僕が知っているのはみんな20代だ。ケータイはそこそこ使用しているようだが、今だったらゲームとかLINEとか流行りについていく程度の利用しかしていない。
この手の人は本当に多く、身の回りに普通にいて、それが世間一般なんだなあと認識させられる。だから、当然ながらパソコンのことなんて全くわからない。調べるという習慣すら無いのがこの層。それ以前に何がわからないのかもわからない。
パソコンをテレビや家電か何かと同様に扱っており、スイッチを押せばサービスが向こうから流れてくると思っており、アフターなりフォローなりが同様にあってしかるべきと信じている。つまらないもの、わからないもの、不機嫌なものには当然のように文句を言っていいものと思っている。いわゆるお客様意識が強い。

ギーク

ギーク層と触れ合うことは日常生活の上であまりない。エディターに何万も払うとかコードで会話するとか、マウスは使わずコマンドで操作するとかそういうイメージしかない。一度、そういうのを勉強してみようと思ったことは、ヲッチャーには必ずある。しかし意味がわからない。何がしたいのか。何をどうすべきか。最初の一歩で躓く。
そのあたりの解離は、世間一般とヲッチャーの解離と同じぐらいに、ヲッチャーとギークにはある。
「何がわからないの?」
と言われる。そこには英語を話す人と話せない人ぐらいの差がある。

ヲッチャー

ネット利用者に一番多いのはこの層だと思う。人口は世間一般層が圧倒的に多いが、滞在時間、トラフィックのほとんどはヲッチャーに占められている。と思う。
この層は、ブログなりyoutubeなり、ツイッターやfacebookをいち早く利用しており、web上のトレンドを常に追いかけている。今も次のサービスはなんだと待ちわびながら、InstagramやらPinterestやらsnapchatなりに手を出すがあれでもないこれでもないとその兆候をただ待ちわびている。
しかし、自分でサービスを生み出すことは全くできないし、技術的な評価をすることもできない。目線はあくまで文科系。ただの消費者だ。
web上のニュースに敏感である。でもテクニカルなことはやはりよくわかっていない。だからアルファブロガーだの炎上だのまとめニュースに詳しくても、コードについてまったくわからない。githubにはついていけない。かろうじて、htmlが書けるCSSの書き換えができる、JavaScriptの書き換えができる、その程度。一から組むことはできない。tumblrは使えてもWordPressは微妙、アプリに詳しくてもアプリは作れない、そういう人たち。ObjectiveCの本を買っても、「なんだ公開は有料か」とか言いながら本棚に眠っている。まさに俺