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シェアハウスへの違和感

僕がシェアハウスについて知ったのは1年半ぐらい前、世間のルールに背を向けろを読んだ時で、phaさんとギークハウスの存在を知った。

その後、他人と暮らす若者たちを読んで、一般的に密かに行われていたルームシェア、シェアハウスの存在、実態を知った。当時とても面白いと感じていた。
ギークハウスが始まったのは2009年、他人と暮らす若者たちが出版されたのも2009年、本の元になったデータは2005年ごろからのものらしい。僕らが知らないだけで、シェアハウスは日本でもかなり前からあったのだ。実は

今感じている違和感とは、一言で言えばその商業性

やたらとキレイで、そこそこ高い。それでもワンルームマンションよりは格段に安い。企業が運営管理している。掃除をしたりもする。その都合の良さ。この違和感を一番最初に感じたのはBRUTUSの特集だった。そこに載っているシェアハウスは、どれもが非現実的に感じた

ギークハウスも載っていたが、汚い部屋で何人も集まり、みんなノートパソコンを開いている様子は一番浮いていた。パソコンは別として、僕にとってはその姿こそが現実的だと思っていた。これが去年の2月。

その後テレビで"シェアハウス"という言葉を聞くようになり、ドラマになったり、そこら中にシェアハウスを見かけるようになった(東京はずっと早かったらしい)。一般化に連れて、その違和感はどんどん増していった。それは最早、時流に乗った次の商品にしか見えない。そして僕はシェアハウスについての情報収集をやめた。もう僕の知りたい内容は集まらなくなった

企業がシェアを運営したり紹介したりする事自体反対かと言えばそうではない。そのほうが都合の良い持ち主、住人はいるだろう。解決できることも多いと思う。それで成り立つ関係、商業性を否定するわけではない

でもそれって、僕にとってはなんか違うんだよなあ。誰かに責任をなすりつけているみたいで。金で責任回避を買っているというか。介入の度合いによっては、言い方は悪いけど"紛い物"に見える。

海外ドラマとかほとんど見ないけど、でも限られた知識の中であるアメリカのルームシェアって、もっとこう、てきとうで自由で、金とか不安とかリスクとかに縛られず、気ままにやっていて、そこに自分の欲求とか心配とか余計な都合を押し込んでいない

つくりはシンプルで、部屋と生活費を分ける、一緒に住む、それだけ。リスクも責任があるのも当然で、その上で縛られていない

細かいルールはあるかもしれない。けれど、それを他人に委ねていない。飽くまで自分たちが当事者として自分たちで管理している

見たことない人が知らない間に隣の部屋に住んでいることもなければ、揉め事を自動的に解決してくれる人もいない。本来あるべき生活の場を、他人に委ねることなく、自らで作っている。それも自然に。

僕の知識にあるギークハウスはまさにそれで、他人と暮らす若者たちに載っていたルームシェアもそんな感じだった。企業が間に入っていても、中のことは住人たち自身に委ねているシェアも多いと思う。でも今世間で喧伝されているシェアハウスは、そこからどんどん離れていっているような気がする。

だから僕は、自分がいる原点に留まりたいと思う