会社をやめようと思った。Macを買い換えようと思った。このMacは5年前に購入したもので、寿命としては十分に役割を果たしてくれたと思う。使い道は、ネット、DVD鑑賞、音楽、写真の整理、その他、消費者としての消費耐久財としての使い方でしかない。何も生産することはなかった。パソコンなんてそんなもんだ。

5年経ったが、このMacはまだまだ十分に使える。次に買うのもiMacにするか、MacBookAirにするかどうかで悩んでいる。iMacを買うと、部屋にiMacが2台になる。現行の機種は今僕が所有している物と色も形も同じで、部屋に同じiMacが2台。iMacは部屋に1台あるから見栄えがいい物で、2台あるとひどく不恰好だ。だけどそこにMacBookAirがあっても、それはそれで見栄えがいい。

今のMacを売って新しいのを買えばいいということになるんだけど、今のMacは売ったところで3万円にもならない。当時の値段が14万円だったことを考えても、引きとってくれるだけ、に等しい。そして、このMacは全然使えるんだ。今もこうやって使っている。3万円でも手放すには惜しい。

MacBook Airを買うか、新しいiMacをもう1台買うか。答えが出ない。ちなみに新しいiMac、MacBook Airiは等しく10万円だ。

 

会社をやめようと思った。正確には、ここ2、3年、ずっと辞めたかった。理由の一つは、会社が傾いてきたからだ。買収されたとか赤字だとかではなく、表向きは多少業績が落ちている程度だが、中で働いている身としては、なかなか環境が変わってきている。まず、人が辞める。今時珍しくはない。新規採用になった人が数年でやめることはどの会社でも一定人数いる。それも昔からいる。でも、ここ最近辞める人たちが確実に増えた。辞めた理由は本人に聞いていないのでわからないけれど、若い人が辞めている。それも、入ったばかりの人ではなく、ある程度年数経ってこれからの人が辞める。会社の居づらさを感じてか、何かを感じて。この、世界的な不況にもかかわらず。

人が辞めるから、自分が辞めるのか、そうではない。でもそれは、指標としては一つ大切な事だと思う。では、自分は何故やめようと思ったのか。答えは簡単で、自分に合わないから。何が合わないのかというと、この会社のやり方が合わない。この会社は業績こそ多少悪くなってはいるものの、大手グループ企業の子会社で、給料は多くないけれど休みもそこそこ取れて、仕事も安定しているように思える。普通に考えると悪くない。贅沢な悩みだ。それでも自分がこの会社をやめようと思う理由は、合わないと思うところは、思想の違いだ。

株式会社だから、利益を挙げて株主に還元する。それが唯一至上の目的なのはわかる。当たり前だ。そして、この会社にはそれ以外に何もない。少なくとも僕にとってはそうだ。企業理念、なんてものはあるにはあるが、実体がない。この会社には目的がない。ビジョンがない。僕らは働いていて、数字の目標以外何も課せられない。ということは、数字の結果以外何も評価されない。それは別に構わない。会社とはそういうものなんだろう。しかし、自己指標として、数字以外に何か追いかける、そういうものが全くない。資本主義とはまさにこのことで、会社は、仕事は、金儲けの手段でしかない。それが悪いとは思わない。至極当然だと思う。ただ、自分には合わない。

自分は欲がない、と言われる。確かにそうかもしれない。自分の、自分自身の目標、目的、希望といえば、平穏に暮らすことだ。ある意味では、既に達成されている。強いて言えば、これを維持することが目的となる。向上は望まない。と言うよりは、これ以上自分には期待していない。現状に満足かと言われれば、満足ではない。かと言って不満があるかと言えば、特段はない。

だから、会社の金儲け、ひいては自分の金儲けのために、より多く金を稼ぐために今以上を目指して頑張る、というのは自分にはとても辛いことだ。合わないことだ。それを僕に求めるということは、亀に速く走れとケツを叩くようなものだ。そしてこの会社にいれば、それは当然、求められる。それが会社の目的だから。だから会社をやめようと思った。

この会社にだって、理念を持って仕事をしている人がいる。自分の理念と会社の都合が合致して、新しい提案を立ち上げ着実に進めている人がいる。今働いている会社は不動産会社だけど、今高齢者向けの住宅事業に着手しており、高齢者向けのより良い住宅環境を提供しようと進めている。安価で、必要最低限のサービスがあり、プライバシーも守れて、普通のマンションと老人ホームの間のようなモデルを構想している。既にある程度出来上がっており、第一号は成功しているそうだ。そういう人たちは、この会社でも前向きに仕事を進めている。会社の利益にも、社会貢献にも、前向きに取り組んでいる。その人の、高齢者の生活をより良いものにしたいという理想が、会社の理念でもあることを願うばかりだ。だが、自分の場合はそうならなかった。自分の思想とこの会社の思想とは合わなかったから、そういう上手い方向には向かなかった。ただそれだけ。決して資本主義や株式会社の否定とか、そういうのではない。ただうまくいかなかっただけだ。努力が足らなかっただけと言われても仕方がない。でも、自分の思想がこの会社で受け入れられることはないだろう。そう感じた。

「さあ、どうしよう」

そんな大げさなことを考えていたって、自分にはもう何も無い。明日は何を食べて、どう生きるか、どうやって食いつなぐか、それしかないただの無職だ。まだ辞めてはいないけれど、そういう気持ちでここ2、3年を過ごしていた。

「さあ、どうしよう」

そんな言葉だけが何度も口から出る。

何も無い。自分の中には何も無い。偉そうなことを言っても、どこかに住まなければいけない。食わなければいけない。幸い、着るものぐらいはある。

住むには、大金がいる。食うには、食うだけの定期的な日銭がいる。労働が必要だ。金が必要だ。金は何かの対価として返ってくる。付加価値の提供がいる。学校で習った。自分に何か付加価値が提供できるだろうか。需要があるだろうか。需要のあるものが供給できるだろうか。何も無いんだなやっぱり。

もちろん、親の遺産なんてものもあるはずがない。だから会社に入ったのに、それを手放そうとしている。

これでは堂々巡りだ。この堂々巡りを解決できる、打破できるような手段はあるのだろうか。もう3年経つ。歳は、30に近づいた。

シェアハウスというものを知った。月々3万円で、都心に住める。今は会社の寮に住んでいるから家賃は実質タダだが、ここを出るとなった場合、まず第一に安価な住居が必要となる。部屋は狭くていい。会社に入ってからお金がある程度あった時に物を沢山買い漁ったけれど、こういう物はなるべくどこかにやってしまいたい。所有はなるべく減らして、身軽になりたいという気持ちがある。持っておきたいものは、パソコンと、デジカメと、携帯と、何着かの服ぐらいか。あとは全部所有しなくてもいい。共有出来れば、一番いいと思う。誰と?

シェアハウスについて考えてみた。自分は不動産会社で働いていたので、賃貸マンションについては少し知っている。ルームシェア。普通の賃貸マンションでルームシェアをしたいと言う人もいたけれど、大抵は大家さんに断られる。人の出入りが激しいとか、家賃がちゃんと入ってこないとか、夜騒いでうるさいとかトラブルの元になるからあまり承諾されない。だから、このシェアハウスがどうやって成り立っているのか少し気になった。

いや、あった。自分が担当した中にも、大家さんがルームシェアを許可した事例がいくつかあった。一つは、会社が社員用の部屋として3LDKを一室借り上げているケース。これは先ほど挙げたようなトラブルがあっても会社が全責任を取るのでわかりやすい。家賃が入らないことはまず無い。トラブルも、会社の社員だから比較的少ない。何か問題があっても、会社に言えば済む話だ。これは比較的大家さんにとっても楽なケースだった。でもこれはルームシェアとは言えないかもしれない。ただの会社契約だ。

もう一つのケースは、ずっと空き家になっている部屋だった。部屋自体が見放されていて、大家さんの収益元としてカウントされていない部屋。かと言って、放っておくのはもったいない。誰か使う人がいて、お金が入ってくるならどうぞ、と言われてルームシェアをOKしていた。中には多少の改装を認めてくれる大家さんもいた。こういう物件は大抵がかなり古く年季が入っていて、そのままで使えないことも多い。そして、その後誰が使うというアテもないから、大家さんも多少の改装は了承してくれるのだ。不動産は金持ちにとって税金対策にはなるものの、年季が入った物件は利用価値も少なく、持っていても固定資産税や維持費などのお金が出ていくだけだから、古くなって元々見放していた物件に毎月家賃を納めてくれて、さらに改装まで自分たちでやってくれるとなれば、断る手もないだろう。

でも、そんな都合のいい物件はあるのだろうか。僕の知っている事例はあまり多くない。

「あるよ。今の不動産市況って知ってるよね?土地も建物も値段下がる一方で高値買いした物件は売るに売れないんだよ。手数料もかかるしね。新築は別だけどさ。新築にしてもそう、今の値段知ってる?分譲なんかめちゃくちゃ安くなってるんだよ?安いって言っても最低2000万はするけど昔だったこれ、ワンルーム分譲の値段だぜ?だからさー高く買ったはいいけど、売れない、安い値段で手放したくない、かと言ってもう古いから誰も見向きもしない、そういう物件って有り余ってるんだよ。知らなかったの?そういうのはさ、持ってても金かかるだけだからいっそのこと取り壊して更地にしてやっすーい値段で売ってしまうか、それにもお金かかるからやっすーい値段で誰かに貸すしかないわけ。ただ貸すにしても改装費とか広告料とか、取り壊すほどでないにしてもお金かかるからさ、そのまんま放置されてんの。踏ん切りつかないんだよ。お金かけたところで借り手が見つかるわけでもないから。それにやっすい家賃しか入ってこないわけだしね。もったいなけど、しょうがないよね。何するにも金かかるんだから。俺もさ、そういうのは文句言われるだけで大して手数料も入ってこないし、手間の割に儲からないんだよね。だからあんまりやりたくないんだけど、何、木下君、中古の家買うの?」

「いや、…そういうわけでは、」

「なに?じゃあ誰か買う人見つかったの?紹介しようか?ていうかいくらでもあるけどね。ネットとかで探せば。自分で紹介する?なんなら大家さんぐらいは紹介しようか?知り合いにそういうの持て余してる人いるかもしれないよ?でもなーネットとかで募集してる人は既に広告に金かけてるからそこそこ要求してくるぜ。住む人の質だったり家賃だったり利用の仕方とか何かとうるさいんだよ。だからもっと手の付いてない物件だったらどっか人づてでも出てくるかもよ?やる気のなーい物件が。誰が買うの?友達?どういう人?マンションの方がいいの?マンションはどっちかって言うと少ないねー。て言うかまず中古のマンション買う人が少ないわ。新築でこんだけ安いんだし同じローン組むならわざわざ中古買わずに新築買うよね。そうか賃貸に住むか。中古のマンションなら賃貸の方がいいよ。マンション買ったわいいけど古くなって住み替えたりして使わなくなったのが賃貸にいっぱい出てるから。賃貸に出したはいいけどそのまんま客つかなかったら管理費とか毎月出ていく金がそこそこあって大変なんだわ。古いし客つかないし大家さん必死で客探してるんだよ。かなり安い家賃でも管理費と修繕費払ってお釣りが来るようなら文句ないって状況になってきてる物件も多いからね。逆にその分部屋が空いたまんまだと出費だけが毎月嵩んで大変らしいんだよー。その分速く客付けてくれたら見返り貰えたりするんだけどね。それでも割りに合わないなー。賃貸は手間だけかかって手数料少ないから。だから紹介だけね?」

「えっと、」

「ん?家?それとも分譲マンション?」

「あるんですね?」

「どっちが?」

「どっちも。」

「あるよー有り余ってる。」

あるんだ。

僕は働きたくない。これは高校生ぐらいの時から思っていた。子供の頃から小学校ぐらいまでは、運動が出来る人が一番もてはやされた。僕は運動が苦手だった。今も苦手だ。特に球技が下手で、どこかのチームにいると大体足手まといになった。中学から高校は、頭のいい人がもてはやされた。僕は頭もよくなかった。成績がいい人は先生に名前を覚えられた。学校が背中を押した。クラスもそんな優秀な人を持ち上げた。頭の悪い人間は、素行が悪いか大人しいかのどちらかで、僕は大人しかったからいてもいなくても同じ存在だった。素行の悪い人は先生からゴミクズのような扱いを受けていたけれど、生徒の間ではもてはやされていた。大学では、社交的な人がもてはやされた。人と人を繋ぐ人は、運動ができなくても頭が悪くても重宝された。小学校も中高もそれは同じだったけれど、大学ではそれが顕著だった。僕は社交性がない。これは、元々そうだったのか、その上から積み上げられてきたのか、運動より勉強よりもさらにひどかった。僕は自分の中に、何か得意とするもの、を見つけることが出来なかった。だから、働きたくないという思いが芽生えたのかもしれない。

きっかけは高校の時だった。当時、あるアメリカの投資家が投資を啓発する本を出していて、それが結構売れていた。当時はITバブルなんて言葉があり、日本の景気は失われた10年を過ぎてもう回復路線に向かっていると思われていた時だった。なんでだったかは忘れたけど、その本を読んだ。

「労働者はお金持ちになればなるほど忙しくなるが、投資家はお金持ちになればなるほど働く時間が減っていく」

そんな言葉が書いてあった。僕は単純に、投資家になれば働かなくてよくなると思った。僕は、自分が後ろめたかった。秀でている部分が無いから、そんな自分が誰かに役立つことができると思えない。働くようになったら、人の何倍か働いてやっと人並みだろう。僕は怠け者だった。

世の中に、自発的に働きたいという人がいれば、それは二つに分かれると思う。一つは、やりたいことがある人。夢がある人。スポーツ選手でも芸術家でも、弁護士でも医者でも会社の社長でも、何か自分でやりたいという意志があり、それがその人を仕事へと導く。その意志、願望がどこから湧いてくるのか、僕には全くわからない。

もう一つは、働く喜びを知っている人。俗に言う、やり甲斐というやつ。人に評価される喜び、何かを成し遂げる喜び、お金を稼ぐ喜び、コミュニケーションそのものの喜び、勝つ喜び、なんにせよ、仕事を行う上で、なんらかの喜びを知っている人は、自発的に仕事に向かう。例えそれが大変であっても、大変であればあるほど、達成感がある。らしい。これは僕にも多少わかる。だからといって、自発的に働きたいとは思わない。大変だったら降りる。

僕は、この二者ではなかった。夢も目標も無い。喜びはたかが知れている。それよりも、働くのが嫌だった。かと言って、生きるために働かなければいけないとは思っていた。生きる。生きたいのか。

働かなくて済む方法があるなんて思ってもいなかった。家はお金持ちではなかったから、親は二人とも働いていた。お金持ちの家も大体は忙しそうにしていた。だから、アメリカの投資家が言っていた「投資家はお金持ちになればなるほど働く時間が減っていく」という言葉は衝撃だった。世の中には働く時間がどんどん減っていく職業があるなんて。僕は投資家になりたいと思った。でもすぐに無理だと思った。僕には根性もなかった。

投資に必要なのは、お金に関する知識と、勘と、リスクを張れる勇気、そういうような事が書いてあったと思う。知識は勉強して訓練すれば身につくけど、勘や勇気は実践して身につけるしかない。高校生だった僕は一度も実践しなかった。実践する勇気もなかった。それは大学に入ってからも、卒業してからも同じだった。僕には働きたくないという気持ちだけが残った。そして今もこうやって嫌々ながら働いていた。

なにかやりたいことは?

漠然としていた。

僕は就職活動の時、自分にやりたいことがなくて困った。

強いて言えば、僕が就職したい理由は、僕が生きるためだけだった。ごはんを食べるため、どこかに住むため、生きるため。生きたいのか?

大学3年生の頃、就職活動まっただ中、僕は手当たり次第面接を受けて、落ちた。落ちまくった。あたりまえだと思う。けれど、受けないわけにはいかなかった。どこかで働かなければ生きていけなかったから受けた。当時は就職難で、採用も厳選されており倍率が低く、何十社面接しても内定が出ないというのは僕に限ったことではなかった。就職活動はとても大変だった。

僕はそもそも働きたくなかったから、面接でなんて言えばいいかわからなかった。「生きるため」なんて言えるはずがない。言ったところで、採用されるわけがない。なぜ嫌な事のためにこんな苦労をしなければいけないのだろう。バブル崩壊前の学生は採用されるのが当たり前で会社なんか選び放題だったという話を聞いた。面接には交通費が会社から支給されて、内定が出ると他の会社へ逃げないように囲い込みの食事や旅行なんかある会社もあったと聞いた。僕は時代を恨んだ。国を恨んだ。労働市場を恨んだ。

「先月、銀行に決まったからもう俺はスーツを脱ぐ」

「会社はゼミの先生が紹介してくれるから」

「推薦で受かった」

運動が出来る人、勉強が出来る人、社交性のある人は内定をとっていた。内定を得た就活生たちは、残った短い大学生活を満喫するため、早々とスーツを脱いでいた。僕は自分を恨んだ。自分の無力さと、怠け癖を恨んだ。

就職活動の時期は学校、企業、自宅を転々と行き来していた。スーツのまま大学に通っていた。学校へは講義に出る他に、企業に提出するための資料を発行してもらいに行っていた。

「木下君。」

「ああ、ひさしぶり。」

「内定出た?」

「まだ。」

「一社も?」

「一社だけ出たけど、きつそうだから断った。」

「うわ贅沢だな。俺なんかまだ一社も出てないよ。」

「それは面接絞ってるからだろ?池田君は事務にしか応募してなかったから」

「だって営業は無理だよ。向いてない。」

「事務職なんか男採ってもらえるの?」

「全然。面接も女の子と並んで受けてばっかり。」

「そりゃそうだろうねー。」

池田君はずっと左の首筋の裏側を掻いていた。

「見てこれ、ストレスでここ掻きすぎて血が出てるけど掻くの止まらないんだよ」

笑いながらそう言われた。

「僕もほら、目の下の痙攣が止まらなくて。親に言ったら「それチック症状出てる」って言われたよ。」

僕も笑って応えた。

僕はこの就職活動に違和感を持っていた。おかしいと思っていた。なんでこんなしんどい思いをするのだろう。何か意味があるのだろうか。他に方法はないのだろうか。とにかく、とても嫌だった。

僕は経済学部に所属していた。それは投資家へ憧れていた高校時代の名残だった。実際の経済学部は、経済理論といった数学的な内容が多く、その内容も国全体の経済を分析し、架空のモデルの上で成り立つ理論を追求するというもので現実社会とは程遠いものだった。他には経済史や経済思想といった、どこか雲の上の内容ばかりで、投資家への憧れとは何の関係もなかった。

僕は卒業論文のテーマに「若年雇用」を選んだ。経済学とは何の関係もなかった。ただ、今取り組んでいるこの就職活動や、雇用慣行についての鬱憤を晴らしたいだけだった。なぜこんなことをしなければいけないのか。

いつからこんなことをしなければいけなくなったのか。戦前から戦後、バブル期からバブル崩壊に続く今までの若年雇用情勢の移り変わりを調べた。なぜ今僕たちはこんなに苦労しているのか。高齢化に伴った、労働市場における流動性の低下や、景気の悪化に伴う新卒採用の減少を調べた。どうすればいいのか。外国での事例を調べたり、自分の思う改善方法を書いた。卒業論文は、ゼミの先生から良い評価がもらえた。でもこの改善策は、僕個人で行えることではなかった。行政や国全体の企業の改善策であり、国家単位での、国家事業であった。そしてそれは、若年にスポットを当てた案であるため、それ以上の世代は無視した内容であった。まさに机上の空論だった。

僕は就職活動の先を絞った。二つ。一つは、金融機関や投資にまつわる企業。この時もまだ投資家に対する憧れは残っていた。すぐに投資家になれなくても、時間をかけて勉強できるかもしれないという思いがあった。もう一つは、労働支援を行う企業だった。雇用の流動化、適正化、人と企業のマッチングをより正確に効率よく、そして就労にあたっての技能養成を支援する。今まさに僕が望んでいた内容だった。

それから僕は二つの企業から内定が出た。一つは、投資用不動産を扱う企業。もう一つは、就労支援を行う企業。

僕の就職活動は終了した。

そして今、間もなく最初の、最後かもしれない会社員生活が終わろうとしている。

今後どうするかはまだ決めていない。

手元にあるのは100万円の貯金だけだった。

「これなんかはどう?」

「うーん、間取りがちょっと。」

「間取りって、普通だよこれ。」

「もっとこう、各部屋が独立したようなのが。」

「そんな物件無いって。それに家庭内で壁は禁物だよ?子どもが閉じこもったりするかもしれないし。」

「子供部屋にも壁ぐらいあるでしょう。」

「あるね。普通ある。でもそれだったら1室あるから十分でしょ。他は仕切戸でも。夫婦内に壁は禁物だよ?うちみたいに全然喋らなくなっちゃうから。」

「夫婦内ならそれでもいいんだけど。」

「よくないよくない。家帰ったら寂しいもんだぜー。自分で晩飯なんか作ったりしちゃって。」

「そっちじゃなくて。」

「ん?どっち?」

「僕は独身なんですよ。」

「知ってるよ。あれ、木下くんが住むの?こんな広いところに一人で?ぜいたくするねー贅沢ってほどでもないか。ボロいし。でもこんだけ家賃払うならもっと1LDKとかの新しいのにすればいいのに。彼女と住むの?それでも広すぎるよー彼女と二人でも2LDKあればじゅーぶんじゅうぶん。あれ、もしかして子供いるの?」

「いません。」

「じゃあ、できちゃったの?」

「できてませんよ。彼女いませんから。」

「え、なに、じゃあなにやっぱり一人で住むの?」

「当面は、そうなるでしょうね。」

「なんでこんな広いところばかり探してるの?今のままでよくない?だって家賃も高くなるしさー、物件だってボロいのばっかだし、ただ広いところ探して意味あるの?そんなに荷物多かったっけ?だって会社の寮でしょ?」

「そうです。」

「あんな狭いところに住んでて、なんで急にこんな広いところ探してんの?しかもボロいの。」

「ちょっと、アテがあって。」

「アテ?だって自分が住むって言ったじゃん。アテなんかあんの?」

アテなんか無かった。

シェアハウスについて、もっと詳しく調べなければいけない。自分一人で住んでいたら、それはただの広い家だ。当然、その分家賃も高い。いくら古かったとしても、何人も住めるような家の家賃はとても一人では払えない。

家について、僕の中で選択肢はある程度絞られていた。まず、買うことはない。手持ち資金ではよっぽど安い物件でも、頭金にもならない。しかも今後の収入は今のところ見込めないからローンなんて組めない。買えたもんじゃない。次に、分譲マンションの賃貸も無い。分譲マンションはとにかく管理組合が厳しい。ゆるいところも探せばあるかもしれないけれど、隣に子連れの一般家庭が住むようなところは、まず考えられない。分譲マンションの一室にも大家さんがいる。大家さんは毎月管理組合に管理費や修繕積立金として、そこそこの額を払い続ける。大家さんの出費があると、自然とその大家さんは厳しくなる。大家さんからしても、お金を払っているんだからまともな人を住まわせようとする。ましてやルームシェアなんて承諾されないだろう。仮に住めたとしても、なんらかのトラブルがあれば管理組合に苦情があってすぐに大家さんへと行く。これは避けたい。残るは、貸家しかない。それも、借り手募集も出ていないような安くてボロい貸家で、大家さんの家族も親戚も誰も今後住む予定が無いような見放されているようなものが理想的だ。そんなところがあるのか?あれだけ有り余っていると言われても、これだけ条件が狭くなると心細い。さらに、共同生活に向いた間取りが必要になる。部屋と部屋は可能な限り引き戸ではなく壁で仕切られている方が良い。また、ある部屋へ行くために別の部屋を通過しなければならないのは避けたい。中央に真っ直ぐな廊下が通っているのが理想的だ。そんなのあるのか?林さんに聞いてもう少し探してみよう。

「探せばあるんじゃない?なんせ、こんだけ物件あるんだからさ」

林さんはアットホームの資料の束を僕に渡した。

「ほら、他にも」

これは、どこかの管理会社が配っている資料のようだ。

「あ、言っとくけどそれ全部貸家じゃないから。半分以上はマンションで、家の率は少ないけどそんだけあったら十分でしょ。あと売りに出してる物件も多いから、そっから賃貸に回してくれる可能性もあるね。その場合売れるまで期限がついちゃうケースが多いけど、一回住んじゃえばあとは借家人が強いからなんとでもなるよ。定借で借りなければ。後ろめたかったら売れそうにないしょぼーい物件選んだらいいんじゃない?」

「ありがとうございます。」

「いいよいいよーこのぐらいぜんぜん。って言うかまだまだあるよ?大家さんも紹介するし。紹介だけね?賃貸は面倒だから契約とかは自分でしてね。買うんだったら仲介までしたんだけどなー。あとネットも見てみ?資料と重複してるけど腐るほどあるから。でもネットはお金かかるから必死で募集かけてるのが多いね。大家さん厳しいかもしんない。」

「ネットは少し見ました。かなり安くからありますね。」

「でも実際ネットに出てるやつは美味しくないよ。その気があるなら気長に情報待って探すのが一番だね。所有者が情報流すのに金かける前に見つけるか、情報流す気無いのを見みつけるか。とりあえず、業者向の広告見たら?」

「ああ、そうですね。一般に回っているものよりマシかも知れませんね。」

「これも実際業者が絡んでる時点で美味しくはないんだけどね。」

林さんは席へ戻り、業務用の不動産情報流通サイトを開いた。

「あるにはあるね。こっちには住所や鍵の所在も載っているから、いくつか見てみればいいと思うよ。実際に住むなら現物見てなんぼだから。特に中古はね。」

そうだ。見てみないと何も実感がわかない。本当に借りるのか?俺は。

インターネットに出ている物件は、交通が不便だったりアクセスが悪かったり、周りに何もない、いわゆる立地の悪い物件は6万からあり、好立地のものだと少なくとも8万はするようだ。

「どこで探してるの?」  

「地元です。」 

「地元?いつ帰るの?」 

「全然、そういうのは決まってません。」 
パソコンを買い換えた。一般的に、パソコンは5年が寿命だと聞いたことあるけど、実際は3年も使っていれば型遅れも甚だしくなり、周辺環境、web環境も変わり、求められるスペックそのものが高くなり、使いものにならない。そのあたりは携帯と同じ感覚だと思うとわかりやすい。そして、実際は5年経とうが使えるもんは使える。ちょうど今年で5年経った。
MacBookAirを買った。これからは狭い部屋で一人でパソコンに向かうか、外でパソコンに向かう事が増えるだろうから、スペースをなるべく取らない物にした。ノートパソコンは寿命が短い。標準搭載のスペックがデスクトップに比べて低いことと、持ち運びによる劣化、バッテリの劣化等があり、早い人なら毎年でも買い換える。このMacBookAirはいつまでもつだろうか。
前のiMacからMacBookAirへデータを移し、iMacのデータは削除した。iMacは今後、事務的な用途に使う。さようなら。