人生について浅く思い出す

自分の人生とは何だったのだろうか。なんていうことは、考えても無駄でしかない。だから、さらっと、頭の中に思い浮かべてみる。それでどうなるというわけでもない。

何もない人生だった。出会いや惜別、思い出、そういったものは全て何事もなかった日のように、過ぎ去っていった。当時はそれなりに大切に、重要に思えていたようなことも、今となっては思い出すことさえできない。覚えていることと、その重要性というのは、案外無関係なのかもしれない。もしくは、自分では重要だと思っていたことも、無意識に軽んじていて、忘れてしまったか。いや、違う。本当は大事なことほど、僕は忘れようとしていることを知っている。覚えていることだけを書こう。

人生の若い時間を学校で終えるというのは、特にこの日本の学校で終えてしまうのは、とても不幸なことのように思う。
途上国で、幼い時から働かされている人と比較するのは難しい。けれど、日本の学校、学校という場においての学習環境は、僕は最悪だと思っている。これは僕が知っている学校でしかないから、いい学校もあるとは思うけれど、スクールカーストなんてものが存在するのはその最悪である典型的な部分だと思う。

学校で何かを学ぶということは、何もなかったように思う。勉強においては塾で学んだことがほとんどであり、スポーツは学んだというよりやらされただけ、人間関係も団体行動も協調性も忍耐力も、僕は学ばなかった。強いて言えば、恥、屈辱、憎悪、恨み、劣等感、そういった負の感情だけを植え付けられるに終わった。
学校はそんなことのためにあるのか、そんなことのために僕は通っているのか、と今となっては思うが、当時はわけもわからず、他にやることもわからないから仕方なしに通っていた。 

いい学校、いい教育システム、いい教師と過ごす、そういう学生時代であれば、若い時代も輝くだろう。いい環境を選ぶ、巡りあうことは、人生を大きく左右する。僕は外れた。そんな運もお金も無かった。
塾は楽しかった。勉強は嫌いだったし出来なかったけど、頭のいい大学生のバイトの先生の話を聞くのが楽しかった。

僕にとって、学生時代というのは暗黒の時代だった。僕は中学、高校、大学と受験に失敗している。勉強を継続的に出来なかった。今でもできない。何かを覚えておく事もできない。計算もできない。特に高校の時はひどかった。高校は理系のコースで合格して物理と化学を選択していたけれど、一番得意だったのは、国語の現代文だった。特に評論文。言葉の意味さえわかれば(擬古文などでなければ)だいたいは解けた。物理や化学は何度やっても理解できなかった。中学の理科は得意だったのになあ。

学校でもだいたい一人だった。恋愛や友人というのもなかった。昼は教室で一人で飯を食うことに何のためらいも違和感も無かった。当時の感情というのは、今でもよくわかる。今も何も変わっていない。高校入学当初の集合写真等で一人だけ地面を見ていて、それをネタにされたのを覚えている。そんな心境。

僕がインターネットを始めたのも高校の時だった。それ以降今も続けている。普通何年もインターネットを続けていれば、なにかしら実りのあるものだが、僕はただ遊んでいただけで、何も身につけなかった。

高校の時はひたすらテレホーダイにダウンロードに明け暮れていた。そいう時期だった。html手打ちのアフィリエイトサイトを作ったりもしていた。当時はテキストサイトやニュースサイトが流行っていたから、真似事もした。オンラインゲームもまだ日本語のものが少なく、お金も無かったのでウルティマオンラインやディアブロ2、エヴァークエストには手を出せず、無料のをやっていた。ラグナロクなんかも無料の時にちょっとだけ手を出した。

高校には一部インターネット好きもいた。インターネットはまだマイナーだったから、浸かっているのはテクノロジーに魅せられた一部の人だけだった。彼らと情報交換をしたりもした。ただ、それぞれ方向性は違ったから共同で何かをすることはなかった。

ボイスチャットにも一時期通っていた。SkypeもLINEもなかった頃、10年以上前、メッセンジャーとボイスチャットという技術がちょうど出だしていた。それらはYahoo!から提供されるようになり、一般的になった。今でもあるかもしれない。Yahoo!ボイスチャットには、利用者が自ら作るチャットルームがあり、毎日通っていた部屋もあった。何をするわけでもない、パソコンの向こう側と会話をするのが、テキストではなく音声だったというだけ。当時は画期的だった。年代も様々で、どこにいても僕が一番若かったように思う。深夜一人でネットをやるにはそれより若いと制約があるからだろう。

携帯を持ったのも高校1年生の時だった。初期iモードというのは、ケータイとネットの架け橋だった。ケータイからネットにつないでチャットに参加したりもしていた。ケータイはそれ以後、いわゆるガラパゴス化と言われる独自路線を進むようになり、料金が嵩むようになったので、僕はケータイ文化圏にまったく参加しなかった。

学校とインターネットの一部の話でだれてしまった。高校生編というところか。