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人生について浅く思い出す4

僕には異性の友人というのがいなかった。
小中学では口は聞いても、個別に遊ぶような相手はいなかった。高校は理系入学だったため、クラスで生徒の比率がほぼ男子校に近く、女性とはほとんど会話する機会が無かった。大学では話す必要がなかった。

バイト先で話したりはしていたが、距離は遠かった。
どうも、学生の頃は男性、女性を意識していたように思う。男女の友情がどうとか、女は全て対象として見ていたとかそういう性的な意味ではないけれど、しかしまあ、学生の間は性別を意識していた。
そのあたりが、女性に囲まれて仕事をするようになり、いくらか自然になった。
慣れた、とまでは言えないけれど、変に意識することはなくなった。自分には女兄弟もいて、彼女もいたから、女の人に慣れていないと言ってもどの程度か伝わりにくいけど、その、変な意識の仕方が無くなったあたりは、自分も大人になったなあと思う。大人とは言えども、女性慣れしている人は子供の頃からできた事だ。
男と同じように扱うわけではなく、意識をしない女性としての扱いをするようになった。どう表現していいかわからない。例えば、美人を相手に話しても、美人だからという理由では動じなくなった。その人に対して他意なく、「美人ですねー」とか言えるようになった。お世辞が言えるようになったのとは違う。本音だから。そのあたりのあっさり感がついた。
 会社の人は友人ではないが、同期あたりから、女性と二人で食事に行っても変に意識しなくなった。立場も対等で、お互い大人で、仕事の話もそれ以外もする。
そのうち海外旅行なども一緒に行くようになった。さすがに二人きりでは行かなかったけれど、3人とか4人で行った。大学生同士で旅行するような、「あわよくば感」無しにそういうことができるようになったのは、自分も落ち着いたと思える。 
主に対女性について書いたけれど、自分のコミュニケーションデビューはこんなところだ。まだデビューの域は超えていない。
会社に入って得たのは、これらが一番大きかったと思う。今思っても、少し年上の女性に囲まれたあの環境は名残惜しい。その環境も異動の関係でわずか1年ほどのことだったけれど。
サラリーマンの作法とか常識とか電話慣れとか挨拶慣れ、話し慣れなど、慣れたものはいくらでもあったけれど、自分にとって大して価値があると思えない。
それよりは異性や別の世代の人などの、今まで関わったことのない人たちとコミュニケーションをとった経験が大きかった。