「国境の南、太陽の西」感想・書評

多崎つくるはまだ読んでないです。

この本を今読み終えたところで頭に浮かぶのは、島本さんの微笑と、山奥の川、街中でタクシーの前に立ちすくむハジメくんの姿、そんな映像。

先日、人と話していた時に思ったことを、また別の人に話す機会があった。

その内容というのが、思いや気持ちは、その思った時に相手に伝えることによって、相手や状況を動かすことが出来るかもしれないということ。少なくとも、伝えておけば悪くはならなかった。何かのきっかけになったかもしれない。行動できたかもしれない。こんな風にはならなかったかもしれない。人生にはそういう場面がいくつかある。

たった一言の感謝がその人のやる気に繋がったり、たった一言の評価が、人を生涯に渡って励ましたり、たった一言が、その人を救うきっかけになったり。だから、自分の、人に対する評価や、気持ちというのは、しっかりと伝えておかないといけないと思った。それが相手の何かを変える、もしくは支えるきっかけになるかもしれない、と。気持ちは、手遅れになる前に伝えて、共有して、物事がうまく運ぶように、前に進めていくべきだった。

僕は、思いを伝えるということは、今まで全く出来なかった。その時の自分のことしか頭になくて、何も言葉にできなかった。ただ、伝えるというだけのことなのに。そこにあった大切なものは、いつの間にか、初めから何もなかったかのように消え去ってしまう。そして、人は後悔する。

しかし、実際は、現実は、思いを伝えたところで、どうなるかなんて、それが良い事かどうか、誰にもわからない。全てを捨て去ってでも助けるべきだった人は、全てを投げ打ったところで結局助からないこともある。そして自分は全てを失う。そういうこともある。その違いは、可能性を残したまま後悔をするか、全力を尽くして絶望するか。そのどちらにも救いはない。どうすることが正しかったか、どうするべきだったかなんていうのは、自分がどうしたいかに過ぎず、どちらに転んだところでうまくいくわけではない。そう考える今でさえも、伝えるべき言葉が口から出なくて後悔する。

それらを口にして、何もかも失って、絶望する事でしか、その場を去ることはできないのかと、そんな事を思った。ハジメくんのように。