「生きていても何もいいことがない」という声について

たまに見かけるこの言葉。
「生きていても何もいいことがない」
死のうとする人や、人生に悲観的な人から発せられる言葉か、僕にはよくわからない。
いいこと?
僕が単純に疑問に思うのは、「いいこと」と「生きること」って関係なくない?
いいことがなかったら死ぬの?
いいことばかりの人生を求めてるの?
悪いことばかりだから死ぬの?
いいことがあったら生きるの? 
よくわからない。何故いいことと生き死にが結びつくのか?
いや、悪いことばかりで苦しみに耐えかねて死ぬ、というのは理解できる。でも、いいことないから死にたい?
何故そんなに「いいこと」を求めているのだろうか。普通に満足できないのだろうか。 
「今日はいいことあるかな」
「なんかいいことないかな」 
こういう言葉もたまに聞く。成れの果てが、「生きていてもいいことないから死ぬ」ではないだろうか。
それはまるで、母親にお菓子をねだって買ってもらえないから泣く赤子のような態度に見える。 
ただ他力本願に、自分の人生にもたらされる幸運を求めて、無ければ死にたい?その発想は面白い。何故そうなるのだろう。その人たちにとって、自分の人生は、自分のものではないのかもしれない。
最後に、これは某ブログにあった言葉で、僕は度々引用させてもらっています。
世の中には乳幼児のような精神状態の成人がたくさんいて、彼ら彼女らは、甘えたり、しがみついたり、駄々をこねたり、泣きついたり、不機嫌になったり、切れたりすれば、丁度理想的なママが乳児の夜泣きを扱う時のように、誰かが自分の気持ちを察して、欲求を満たしてくれるはずだ、と思いこんでいます。客観的に見れば、単なる迷惑行為なのですが。
彼らは同時に、自分の親や家族との問題や、自分の背負うべき荷物からも逃げていて、「こんな自分を他人が幸せにしてくれるのではないか?」という、他力本願な、ありえない夢を見ています。

僕はいいことなんかいらない。