地獄こそが楽園

引越しの整理をしていた時に、マンガの罪と罰を再読した。

これは珍しいマンガで、ドストエフスキーの小説である罪と罰を、現代日本に置き換えてアレンジした作品となっている。

小説のストーリーにだいたい沿ってはいるものの、内容は全く別物だった。ロジオンがヘタレだったり、ドゥーネチカの役割がほとんど無かったり、スヴィドリガイロフがキーパーソンになってたり、ソーネチカが暴力女になってたり。

そのあたりは、シェークスピアのリア王をアレンジした黒澤明の乱などとは若干異なるかもしれない。どうだろう、リア王読んでないから。

珍しい点としてもう一つあるのが、原作が面白かったものを漫画化したり映画化したり、リメイクしたものは話の内容が変わっていようがいまいが、たいてい面白くない。もうしわけないけど、原作レイプという言葉があるぐらいだ。でもこれは面白かった。原作より、とかそういう比べ方は全く出来ないけど、十分に面白かった。

原作のロジオンは人を寄せ付けない神経質な男で、毅然とした態度をとっていたが、マンガの裁弥勒はただの弱い男に見える。そういう、弱さを持ちながら物語が進むことを支えたのは、キーパーソンになった首藤魁だった。この人は一応原作のスヴィドリガイロフの立ち位置をとっているが、役割が全く違う。そこまで重要な人物ではなかったのに、マンガの罪と罰では、実は主人公が首藤魁ではないかというぐらいに関わってくる。

首藤は、文士になろうとしていたがコミュニケーションもろくにとれない裁弥勒に興味を持つ。彼の書いていた文章を読み、「お前の思想には行動が足りない」とそそのかす。そして事件を知り、関わりを深める。

首藤の中の裁弥勒と、裁弥勒の中の首藤との対話が始まる。首藤は裁弥勒の中に自分を見て、こちらに引きこもうとする。裁弥勒も首藤の中に幾度も自分の答えを見つける。

僕は個人的に共感しなかったけれど、面白い考え方があった。

欲と欲が絡みあい、強者が弱者を獲って喰う。猥雑で残酷で、だから世界は美しい。欲望を肯定しろ。地獄こそが楽園だ。

この世は地獄で、ひどいことや不幸なこと、辛いこと、悲しいことしかない。しかし、それこそが世界の魅力であり、血や傷、痛みこそが、自分と、人生を形作る。
感情に抗ってはいけない。この地獄を受け入れ、楽しもうではないか。
そういう解釈だと思う。