だからといって、自分にとって許容できる現実なんてものがあるのかというと、無い気がする。満足のいく、納得のいく人生などというものは想像できない。なにがどう違っても、今の現状となんら変わりがあるとは思えない。いい方向には。悪い方向にはいくらでも変わりようがある。

満ち足りていないというのは、通常のことではないだろうか。現実的に考えてみても。常に不満と、疑問と、不足と、痛みを抱えていなければ、身動きとることもなく、終わっているのと同じだ。苦しみが、生きていることを気づかせてくれる。物事を進めようとする意思の起点になる。その道程に意味を見出すことができれば、神の意志に近づくことができるかもしれない。

足りないことを足がかりに出来れば、不満はきっかけになる。いつも、満足と不満の中間あたりをただよっていられたら、それでいいんじゃないかな。飽くなき探究心、向上心というのは、一番遠い発想だけど。余裕があれば尚良い。

満足がいくというのは、あるとしても一瞬のことなんだろう。満足を維持することなんて出来るのだろうか。思いつかない。でもそんな状態は、決して満足ではないと思う。