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シンプルか、猥雑か、

シンプルですっきりした様子も、その対極にあるごちゃごちゃした猥雑な様子も、どちらの雰囲気にも憧れる。

特に若い頃は猥雑な感じに憧れるだろう。雑誌やカフェなんかでもごちゃごちゃした雰囲気がかっこいいと思ったり、ヴィレッジヴァンガードに代表されるような雑貨屋の満ち足りてる感、バンコクやベナレスの汚い感じ。

少し年齢を重ねれば、シンプルの良さに目覚めるかもしれない。単色から、モノトーン、ミニマリズム。必要最小限の物以外何も無い状態を美しいと思うようになる。いつの日かMacユーザーになっていたり。

それでも、かつて憧れた猥雑さに対して、否定の感情はなかったりする。ベクトルが違うだけ。問題は、どちらも極められないことにある。どちらともつかない中途半端。これが一番かっこわるい。
ただ、現実的に考えて、猥雑さを極めるほど物を買うお金は無い。邪魔だし、もったいない。置く場所もない。かといって、ミニマリズムに生きるのはあまりにも不便だ。捨て去っても生きていくことは出来るだろうが、美的感覚は満たされても生活は物足りない。やはり必要最低限で生きるには限界がある。そうやって中途半端につまらないインテリアが出来あがる。飾りすぎでも足りてもいないファッションに落ち着かざるをえない。

あえてどちからを選ぶなら。中途半端にならないよう、一本の道を極めようとするならば、どちらが現実的だろうか。どちらも感性を要求される。それは同じ。どちらかというと、シンプルを極める方が感覚的には難しい気がする。ただ空虚で無味乾燥にで物足りないだけに陥りやすい。長編小説よりも、短歌で同じだけ売れるほうが難しいだろう。
金銭的には、どちらもかかる。物を集めるにも削ぎ落とすにもお金がかかる。猥雑には心踊る物で溢れさせなければいけない。シンプルには、それさえあればいい物を手に入れなければいけない。極めようと思えばやはりシンプルの方が難しいだろう。Macの方が高い。服なんかも洗練された物が高かったりする。そんなことを考えていたらやはり、どっちともつかない中途半端なものが出来上がるのです。どちらも現実的ではない。
ただ、100均でも飾ることは出来て、h&mにもシンプルな服は売っている。