自信と努力について

人生に自信がない。自信というのは、自分で積み上げるものだ。知識や経験が自信の根拠となる。もし自信を持ちたければその方法は簡単で、自信に足るだけの知識を手に入れたり、経験をすればいい。努力を積むとか、現場に出るとか、何かしら自分に身についたものが、自信の根拠となる。しかし、圧倒的にめんどくさい。だから僕は、いつまでたっても自信は持てない。

僕は人前で話す経験が欠けているため、大勢の前で話す時は緊張する。それでも前の会社にいた時に、内容こそ大したことはなかったが、大勢の前で話す機会が幾度かあった。朝礼であったり会議であったり。そんなものでも慣れというもので、前に出て自分の意見を説明したり述べたりすることには特段抵抗がなくなった。積極的に話したいということはないが、特に深く考えることはなくなった。同様に、前の会社にいた頃は人から詰められることも多かったため、多少は慣れた。どちらも、まだまだ大変な上があるのを見てきたから、余計その程度は大したことがないと思えるようになったのだ。しかしこんなものは、自信というよりある意味トラウマみたいなもんだ。学習でも成功経験でもない。

人生をより高水準なものにするには、「めんどくさいという感情」の解決に尽きる。才能がなかったり、頭が悪くても、「めんどくささ」さえ解消できれば、たとえ頭ひとつ抜け出ることはなくても人並みになんとか出来る程度にはなる。多分、世の中の大抵のことは、やる気にかかっている。センス、才能はもちろん第一線で活躍する際に必須になるが、それ以前の、第一線まで自らをもっていくには、やる気次第だろう。やる気、モチベーション、向上心、関心、興味、根性、何でもいい。その全てが僕には欠けていた。ずっと幼い頃から。飽き症だということもあるし、外的要因もあったが、それはもう今となっては言い訳でしかない。

物事を知る、身に付ける、上達する、極めるには必ず継続と向上が要る。そのためには興味を持ち続けなければいけない。興味→継続→向上→次のステージへ、といった具合にこのサイクルは続き、人は成長していくのではないだろうか。僕はこの興味が一瞬で終わる。ものの見事に一瞬で。モチベーションを保つ秘訣として、今まで聞いた中で一番納得したのは、逆説的だけど「モチベーションなんかに頼らない」という意見だった。例えばその、練習や下積み段階において、つまらないことを継続しないといけない場面でモチベーションがどうこう言ってたらすぐに嫌になってやめてしまう。では、彼らはどうやって解決したのか。その答えは「終わるまでマシーンのようにやり続ける」だった。これははてな匿名ダイアリーかどっかで見かけた内容だったけれど、ホリエモンも確か仕事をする時は終わるまで机に向かい続けるって言っていた。もしかしたら必要な努力をこなしてきた人には、この「雑念を捨てて機械のように取り組む」という手法が共通しているのかもしれない。見返りのよくわからない受験勉強などには向いている。その圧倒的な意志力は、一体どこから来るのだろう。おそらくは理性だと思う。だから彼らは頭がいいんだ。

僕はそんなストイックなことは出来た試しがない。1回ぐらいなら出来るかもしれない。けれど二度とやる気が起こらなくなる。もう机に向かうことさえ。僕が働いていた時や、必要に迫られて努力をしていた時というのは、次に挙げるどちらかだった。夜も眠れないほどの恐怖に縛られていたか、相手を刺し殺さんばかりの殺意に満ち溢れていたか、どちらか。だからよく、徹夜して頑張ったなどと、努力や仕事を楽しそうに語る人について、とてもうらやましく思う。僕が死ぬほど頑張った時というのは、死ぬほど怖かった時か、殺すほど怒っていた時だけだった。そこに乗り越えた達成感などというものがあるわけがない。そのまま続けていたら間違いなく病気になっていたというような心情でしか努力ができない。だから、無心であれ、前向きであれ、何かを継続できる人というのがとてもうらやましいのであります。