ワンルームマンション、賃貸不動産における今後の確実な流れ

昨日書いたように、僕は今年の夏まで賃貸マンションの管理会社で働いていた。その当時思っていたことを書こうと思う。少し専門的になる。

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賃貸マンションは今後余る

人口減、高齢化が進む現在において、賃貸マンションは既に余っている。
賃貸マンションの需要というのは元々、学生や若手社会人などの単身世帯か、もしくは戸建て、分譲マンションを買うまでの新婚世帯までが大半を占めていた。現在は若年人口が少ない。単身世帯や新婚世帯などは、今後ますます減少してゆくだろう。
更に、その少ない若年層というのは家どころか車も買わないほど非常に貧しい。貧しい人たちが果たしてワンルームマンション、LDKの賃貸マンションに住むだろうか。彼らがどこに住むかというと、実家に住む。同様に、中年、年配の単身層が賃貸マンションに流れる事もない。彼らも実家に住み続ける。賃貸マンションの需要は落ち込む要素しかない。

にも関わらず、新築マンションは毎年建っていたりする。古いマンションは同じ数だけ取り壊されているだろうか?絶対にそんなことはない。需要はどんどん減る中で、供給だけが毎年増えていっている。
ということは、今後マンションの供給過多はどんどん加速していく。建ったばかりの新しいマンションは競争力があるからまだいい。競争力のなくなった古いマンションはどうなるのだろうか。古くて人気がなくて、マネジメントがうまく行かなかったマンションはガラガラになり、誰も住み着かなくなってしまう。

賃貸マンションは二極化する

さて、そういった供給過多の中で、古いマンションは数限られた需要層を取り込まなければならない。どうやって?新しくもない似たり寄ったりのマンション、何の特徴も無いマンションというのは、どれがどれだかの区別もつかなくなり、埋もれ、個別の存在は見向きもされなくなる。新しい付加価値を与えなければ。

そこで、賃貸マンションにおいても生き残りをかけた、生存競争が始まる。客を取り込めなかったマンションは赤字を垂れ流すだけの負債として、または人気がなく死に体のマンション、その他大勢のゾンビ物件としての運命が待っている。それを避けるためには、その他大勢、つまり中間層にならない特徴、他とは違う付加価値を持ったマンションへ生まれ変わる必要がある。

特徴、方向性というのは僕が思うには二つの方向に分かれる。一つは合理化、低コスト化、簡素化。もう一つの方向は、密着化、コミュニティ化。他にもあるかもしれないが、僕はとりあえずこの二つの方向を思った。コミュニティ化というのは既に潮流がある。シェアハウスだ。

この二つの特徴は、内容が全く対極にある。二極化という言葉は貧困層と富裕層という金銭的な意味での二極化ではなく、この中身の対極を指す。

マンションの契約はシンプルへ

まずは、合理化、低コスト化、簡素化の方から見ていこう。
賃貸マンションへ引っ越したことがある人ならわかると思うが、マンションの契約手順というのは、ひどく時代遅れで手間がかかりめんどくさい。10年ぐらい前からネットで部屋を探すのが当たり前になったけれど、それでもアナログなのだ。どこがどうアナログなのかというと

ネットで部屋を探す

不動産屋に行く※アナログ

マンションに送ってもらって部屋を見る※アナログ

ついでに勧められた他の部屋も見る※アナログ

不動産屋に説明を受ける※アナログ

紙の契約書にハンコを押す※アナログ

つまり、最初にネットで部屋を探す部分以外全部アナログで時代遅れということになる。すごく非効率で無駄が多い。契約締結まで早くて2週間はかかる。その分様々なコストもかかっている。

シンプルな契約とは

ネットで部屋を探す

間取り、広さ、外観、内装などを写真及びビデオで確認

web上のフォーマットに入力

契約書をweb上で確認の上、カード決済

鍵と契約書原本が送られてくる

引越

このように全てネット上で済ますことが出来る。契約は、システム次第ではその場で終えることもできる。

部屋を見ないと不安?

web上で全ての契約が成立してしまうのは不安だろうか。
不安な人は店頭に向かい、現物を確認し、じっくり検討すればいいと思う。これは飽くまで手間を惜しみたい人向け、コストを節約したい人向けのプランとなっている。
正直なところ、分譲マンションを買うのならともかく、賃貸マンションというのは借り物でしかない。気に入らなければいつでも返すことができる。ただ借りるだけにそこまで手間暇時間をかけるのは無駄だと思う。
また、年代、構造、広さ、値段が似通っていれば、はっきり言ってどこも大差ない。まして写真やビデオで確認するのが前提となっている。そう大きなギャップは出てこないだろう。貸す側としてもビデオと違うと言われたら困るはずだ。

ワンルームではなく新婚世帯などで、こだわりたい人はこだわってもいいと思う。細かいところを気にする人が、しっかり確認しないで契約してしまうと、毎日どんどん嫌になってすぐに引っ越してしまうかもしれない。
ただ、そういう人が何の文句もない物件というのは、基本的には見つけられない。どんなマンションであっても何かしら不満は出てくるはずだ。ここだけは譲れないポイントというのを自分なりに把握しておいて、そこを入念にチェックするようにしよう。それが現場でないと確認できないポイントならば、毎回現場に足を運ぶしかない。

そこまで気にしない人は、多少気に入らない点があったとしても、住んでいくうちに気にならなくなる。そういう人にとって、アナログな手続きというのが無駄なプロセスとなる。気にしない人が気にする人と同じ過程をわざわざたどるのは億劫すぎる。
ホテルを選ぶ時にわざわざ部屋を見ることはしない。写真だけ見るだろう。「それは1泊か数日だけだから」だろうか?分譲マンションを買う際も、モデルルームを見て契約するのは日常的なことだ。一戸建てのマイホームだって、建売以外は全て、現物を見ずに図面だけで購入している。果たして本当に現物を見る必要はあるだろうか?ましてや賃貸で。

分譲も戸建ても新築だから、というのはあるかもしれない。では、新築で不具合があればどうするのか?修繕してもらう。それは新築に限ったことだろうか?新築であっても既存のマンションであっても、問題があれば直してもらうという点に関して何の違いもない。では、なぜわざわざ現物を見ることにこだわる必要があるのだろうか?

webで契約するメリット

webだけで契約手続きを終えることには、手間を省くこと以外にもう一つメリットがある。webを用いれば、仲介を挟む必要がなくなり、貸主と借主が直接契約をスムーズに履行することが出来る。いわば、webのシステムそのものが仲介の役割を果たしてくれる。直接契約であれば重要事項説明の義務もない。
仲介を省くことには具体的にどのような意味があるか。
賃貸マンションの契約というのは、貸主(管理会社)⇄仲介⇄借主という形で間に仲介が入る。仲介がいわゆる不動産屋と言われる人たちだ。仲介の仕事は先程のフローチャートで見た

マンションに送ってもらって部屋を見る※アナログ

ついでに勧められた他の部屋も見る※アナログ

不動産屋に説明を受ける※アナログ

この部分を占める。つまり、全てシステムで省略できる部分だ。彼らはその省略できる部分を生業として、仲介手数料で成り立っている。仲介を通さずにシステムを通し、貸主と借主が直接契約することで、借主は手数料を支払う必要がなくなる。
ちまたでは既に仲介手数料ゼロをうたっている不動産屋も多い。彼らの仕事というのは一体どのようにして成り立っているのだろうか。

現実は、この仲介に対して貸主側からも手数料が支払われているケースがほとんどである。法律上、仲介手数料というのは家賃の1ヶ月分以上を受け取れず、貸主からは別の名目(例えば広告掲載料)で手数料をもらっている。その金額は、仲介手数料とは別に、だいたい家賃の1ヶ月分から2ヶ月分になる。

仲介を通さないことで、貸主が払っていた手数料はどうなるだろうか。
この手数料というのは紹介斡旋料のようなもので、競争力がないマンションへ客を斡旋してもうために仲介へ支払うお金となっている。仲介が無くなり、この斡旋がなくなると、競争力は元のように落ちる。では再び競争力をつけるためにはどうすればいいか。
当然、家賃が下がる。少なくとも一つの契約の中で、斡旋に使っていた手数料と仲介手数料の合計2か月分相当額は安くなるだろう。そしてそれがそのマンション本来の競争力であり、需要と供給のバランスによって自然に導かれるはずの市場価格なのだ。
そうやって手間以外のコスト、金銭的なコスト(無駄)も省くことができる。家賃が下がるからといって何も、貸主が損する話ではない。本来仲介に渡っていたお金が家賃に還元されるだけで、貸主は特別懐を痛めることなく、借主はより安い家賃で借りることができるようになる。あとはその賃料でしっかりと借り手がつくかどうかは、その不動産を管理運営する会社のマネジメント力、マーケティング力の問題だ。

このwebを用いた合理化、効率化は、不動産以外の業界ではもはや何年も前から常識となっている。保険、クレジットカード、証券会社等口座開設、海外旅行、飛行機の予約、全て代理店を省いたweb経由での直接契約が台頭している。これらの業界ではむしろweb以外で行うことなどあるのかと個人的には思ってしまう。もうこの流れというのは必ず起こると言っていい。他の業界では既に常識であることを取り入れない手はない。

ただし、今後も不動産の仲介というのは無くならないと思う。どうしても対面で手続きしたいという需要は必ず残る。そうなってきた時、仲介業は今まで以上にサービス業という側面が強くなり、契約の代理行為というよりもアシストとサポート業務をメインで行い、そういったサービスを受けたい人のアドバイザーとしての役割が強まるだろう。
その分値段も高くなる。そこに差別化が生まれる。安くてシンプルな方を選ぶか、高いアドバイザーを雇うかというふうに別れる。ネット証券やネット保険の現状を見てもらえればわかると思うが、webによって簡略化しただけで質が同じ、さらに従来のものより安い商品というのは必ず需要がある。その反面、対面で親切できめ細やかな手数料サービスという新たな需要も育つ。

入居審査について

余談となるが、現状では入居審査として、免許証をコピーしたり住民票を取ったり連帯保証人をつけたりしている。僕は、これらは全ていらないと思う。
その理由は、第一に、時間と手間とお金がかかる。せっかくシステムでシンプルにしても、ここで機会損失となる。
第二に、そんなことをやっても時間とお金と手間がかかるだけで、本質的なリスク対策にはならない。厳密に審査をしてもリスクは残る。実際に滞納や夜逃げは、今の審査でも数限りなく起こっている。ただの気休めにしかなっていない。だったら最初からなくしてしまって、より大きいパイを拾う方が効率がいい。
では、リスク対策は何もしないのかというと、そんなことはない。十分に行う。保証会社を利用することによって。

保証会社とは、保証人代行サービスを行っている会社だ。お金を払うことで、貸主に対するリスクを肩代わりしてくれる。怪しいと思うかもしれないが、リクルートやマルイ、チューリッヒなどがこの事業を行っている。借主の信用調査もそちらで行ってくれる。貸主がわざわざ二重で行う必要はない。
保証会社を利用しない場合は、CICなどのクレジット審査や、保証協会の滞納履歴照会などの第三者機関の照会を行うだけで済ませる。それが一番信頼度が高く、時間もかからず効率が良い。それ以上はやはり気休めにしかならない。時間とお金の無駄だと思う。
一つの契約において、厳密な審査で救われることがあったとしても、全体を見ればやはり非効率となる。保険と同じだ。

マンションのコミュニティ化

次はもう一つの方向性、コミュニティ化について見てみよう。冒頭ではその代表的な例として、シェアハウスを挙げた。僕自身、昨年から今年の夏まで1年ほどシェアをしていた。2009年頃から、シェアハウスの魅力というのはいろいろな所で話題になっており、最近ではかなり一般的になった。ここであえて説明するまでもないかもしれない。

コミュニティというのは、これまで媒体を変えながらもその役割を維持してきた。戦前には地域、家族というコミュニティが強かった。戦後は企業、組合、もしくは大学なんかもコミュニティの媒体になっていただろう。そして現在はそれらが全て崩壊している。一部では存続しているかもしれないが、過去ほど強固ではない。以前から比べたら、参加者も減り、コミュニティの機能は弱まっているだろう。

「個人が強くなり、個人主義が台頭してコミュニティは必要なくなった」という見方もあるかもしれない。では、強くなれなかった個人は?
それまで弱い個人というのは、コミュニティがセーフティネットの役割を果たし、守られてきたという経緯がある。地域、家族、日本企業などその象徴ともいえるだろう。それら旧コミュニティの崩壊により、強くなれなかった個人は常に危険にさらされ、膨大な事件や事故、自殺者を生み出している。
これらは行政の怠慢だと思うかもしれない。しかし、もしコミュニティが機能していれば防げたかもしれない。今までのコミュニティはもう成り立たない。では、その次の担い手というのは存在するのだろうか。
住居はどうだろうか?というのがシェアハウスを勧める人の中の一部の思想として存在する(と思う)。

ちょうどシェアハウスが話題になったとき、たまたまサンデル教授のハーバード白熱教室が話題になっていた。そこにあった政治哲学の中に、コミュニタリアニズムという思想がある。これがシェアハウスとマッチする思想であった。
どんどん不動産の話から逸れているので元に戻りたいと思う。このコミュニティ化というのが、先ほどのシンプル化とは対照的な、マンションの新たな付加価値となり得る。

シェアハウス型コミュニティとは

ルームシェアをやったことがなければ、シェアが現実的ではないと思う人も多い。また、ゲストハウスなどに泊ったことがない人の中には、プライバシーはどうするんだ!と躍起になる人もいるだろう。僕が今まで直接聞いた中でも「考えられない」という意見が大半だった。特に女性は多かった。

僕がしていたシェアは、男性3人、女性2人の計5人で同じ家に住んでいた。また、暇があればカウチサーフィンで外国人を泊めたりしていた。何か問題があったかというと、何もなかった。これは人が良かったとしか言いようがない。

どんな生活をしていたかというと、僕ともう一人の男性が同じ会社の同僚でシェアを始めた。そして同居人を募集して、女の子一人と、カップル一組が一緒に住むことになった。個室は4室あり、カップルは10帖ほどの部屋で同室、僕らは4帖半から8帖のそれぞれ個室を使った。風呂とトイレ、洗濯機、キッチン冷蔵庫、玄関、バルコニー、その他リビングにあるものなどを共同で使う。冷蔵庫の中身、服やタオルなどは個別に使っていた。貸し借りはした。年齢は26歳から31歳だった。

シェアハウスってのは他も大体こんな感じだろう。好き嫌いがあるので、いくら家賃が安くても無理という人は多いと思う。ただ、僕が今後のマンションの方向性で感じているコミュニティというのは、こんな本物のシェアのように極端で露骨なものではない。
ホテルの1室のように、風呂やトイレは個別で持ってもいいと思う。というか従来のマンションには既についている。*1

シェアハウスの中にもすでに、マンション一棟をシェアハウスとして運営し、各個室を割り当てたり、個室の中でドミトリーとして活用しているものも多い。シェアの根幹は共有に非ず、コミュニティにあると思っている。コミュニティを形成するために、共有が用いられている。リビングという共有スペースや、そこにある本棚といった家具、共有パソコン、ゲーム機といった家電、共同で行うイベントなどを媒介として、コミュニティは形成されている。

また、ギークハウスcolishが出てきてからコンセプト型シェアハウスという概念も大きく育っている。僕が行っていたシェアは、海外旅行好きが集まった。
一人は5年間アメリカに住んでいた。もう一人はオーストラリア、ニュージーランドと2年ワーキングホリデーに出ており、現在はイギリスにいる。さらにもう一人もニュージーランドのワーキングホリデーを経験しており、来年はカナダへ行くと言っている。そして先ほども挙げたように日本に来た外国人旅行者を無料で泊めたりもしていた。そこに僕だ。
はっきりコンセプトでまとまっている。この住民に共通するコンセプトというのもコミュニティを形作る重要な要素となる。

従来マンションとの差別化

コミュニティ機能を持ったマンションというのも想像しにくいかもしれない。ではまず、従来のマンションとはどういうものだろうか。ワンルームマンションに限って言えば、近所付き合いというのは一切ない。人によっては多少あるかもしれないが、基本的には隣に誰が、どんな人が住んでいるのかもわからない。僕は今までワンルームに3回、計5年ほど住んでいたけれど、あいさつ程度しかしたことがない。

ファミリーマンションはどうだろうか。婚姻している世帯が住むこともあり、近所付き合いも多少はあるだろう。顔見知り、会話、おすそわけ程度ならあるかもしれない。それもおそらく、奥さんだけだろう。あったとしても、隣近所だけだと思う。マンション全体でというのは、分譲マンションと違って組合もないからあり得ない。
やはり各住戸は、各部屋の中だけで独立している。部屋の外、隣の部屋というのは同じマンションでも全く異次元の世界だったりする。これが従来の、今現在も続いている賃貸マンションの現状だ。まあ、それが普通なんだ。

ではそれが、コミュニティ化することでどう変わるのか。コミュニティを形成する要素の代表格として、共有スペースを思い浮かべてみたい。小規模な賃貸マンションに共有スペースができるということは、言うならばホテルのロビーのようなものがマンションにできると思えばいい。もしくはゲストハウスの1階にあるようなカフェがマンションの入り口に出来ると思ってもいい。そこを通って人はマンションを出入りする。
空調がきいており、足を止め、ソファに腰かけ、書籍を手に取り、コーヒーを振る舞う者もいれば、勉強する人もいる。寝ている人もいるかもしれない。談笑があり、テレビがあり、ゲームがあり、食事をする人がいてもいい。素通りする人もいて、声をかける人がいてもいい。部屋にこもるのも自由。ロビーにたむろするのも自由。

寮生活をしたことがある人なら、あれを思い浮かべてもらえばいいだろう。あれのもっとゆるい版だ。他に、幼少期に子供だけで秘密基地なんかを作った人がいたら、あんな感じだ。中高生、大学生の時にたまり場があった人ならわかるだろう。それにあたる。自分の部屋は独立しているが、一人暮らしのようで、一人暮らしではない。同じコンセプトや共有の元で、人が集まる。それがコミュニティだ。

コミュニティの付加価値とは

コミュニティ化されたマンションに住みたいと思っただろうか。思った人にはこれ以上説明はいらないかもしれない。
コミュニティの付加価値というのは一体なんだろうか。このあたりは、シェアハウスの解説本などを読んでもらえたら詳細に載っている。コミュニティの価値は、ただ人がそこにいる、ということにある。シェアの魅力というのは、家賃か安く済むとか家具がいらないとかいろいろあるけれど、そんなものはオマケに過ぎない。誰か知っている人が、同じ何かを共有する人が近くにいる。それ以上のものはない。

シェアには問題も多くあるらしい。僕らは無かったが。それを解決するのもコミュニティの役割だ。だからコミュニティはじっくり選ぶ必要がある。本当に思い描いている場所か、本当に合うか、この人たちとやっていけるだろうか。逆に言えば、それだけ特色の強いものだから、合えばこれだとすぐにわかる。
ここにアドバイザーは不要だろう。しっかり自分の目で見て、住人と会って話して、自分で決める必要がある。ここであなたは客ではなく、コミュニティの一員となるのだから、消費者目線で選んではいけない。そのコミュニティは、自分たちの自由と責任のもとで創りあげるものとなる。

以上、賃貸不動産のシステム化とコミュニティ化という二極化のお話でした。これらが既に進んでいる他業界の、さらに身近な例として本屋がある。シンプル化、システム化の代表格はアマゾンだ。コミュニティ化の本屋というのは、カフェ併設をやったり手書きPOPを書いたり、珍しい本を直接納品したり、来店客参加型のイベントを行ったりする個人書店となる。この手の本屋も、本当に目立つようになってきた。
こういった流れが進んでいる業界では、独自色が出せない中間層は廃れ、衰退し、やがて滅びるだろう。今回ここに書いたことは全然目新しいことじゃない。むしろ新しい発想というのは一つも含まれていない。

他人と暮らす若者たち (集英社新書)

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*1:ただ、実家に帰れば風呂場もトイレも共有する。なぜ他人とは共有できないのだろう?信頼だけの問題ではないだろうか。むしろ、本当に家族というだけで信頼できるのか?本当に家族とそれ以外の区別というのはそんなに大きな意味があり、重要だろうか?そのあたりが解消できれば、個別か共有かにこだわる意味はなくなる。