本心は本人にしかわからない

誰が誰をどう思っているのか、なんて想像は想像の域を脱することがない。なぜなら人はウソをつけるからだ。

僕の知り合いに、いつも人の欠点ばかりを言う人がいる。彼は話す度に誰かの欠点を口にしている。「Aは太っている」「Bは足が短い」「Cは頭が悪い」「Dは無い」
果たして、彼についてどのような印象を持つだろうか。「Aを嫌っているんだな」とか「性格が悪い」とか思うかもしれない。彼はほぼ誰に対してもこのような態度だから、「自分も影で言われてるかも」と思うかもしれない。

では、もし彼が私について、他の人に「〜(私)はいいやつだ」と褒めていたのを知ったとしたら、どう感じるか。いつも人を褒めることがない彼が、私の知らないところで私を褒めていると知った時。それは彼の本心だと錯覚しないだろうか。彼を本当はいいやつだと思ってしまわないだろうか。

人は、自分のいないところで交わされた評判を信じる傾向があると聞いたことがある。だから、彼が私について、他人に話していた評判というのを信用するかもしれない。人を褒める時には他人に褒めろと昔から言われている。周り回って本人に伝わればその言葉を信じやすいからだ。

さて、彼の真意はどうだろうか。果たして、彼の言葉に嘘は無いのだろうか。誰に話した言葉が本当で、誰に話した言葉が嘘かなんて、どうやって判断するんだ?
彼はもしかしたら、いつも文句を言っている相手を好んでいるかもしれない。そして、褒める人間を実は嫌っているということもある。直接聞いたから、他人から又聞きしたから、などという伝達経路は真意とは全く無関係ないのだ。本人には言いにくいことだから、他人に言うことは真実なのか?自分がどうしていたか考えてみれば、そんなことはないと思い直すんじゃないだろうか。少なくとも僕はそうだ。

結局、彼が何を考え、誰をどう評価しているかなんて彼自身にしかわかりようがない。他人の感情なんてものを気にしても意味がない。他人が自分をどう思っているか、気に入られようが嫌われようが直接本人に聞いたとしても本当のところは確かめようもないし、どうでもいいじゃないか。人にどう思われているか、ではなく、自分はどう思うか。彼についてどう思うかは、他人の評判ではなく、自分の目と頭で判断した方がいい。