海外志向なのか?

先日高城剛の本の中で、日本人の海外志向が勧められていた。統計上、イギリス人は国民一人あたり年に1回海外旅行をするのに対し、日本人は同じ島国にもかかわらず0.1回という数字を叩き出していることに嘆いていた(正確な数字は統計データなどを検索してください)。旧植民地のことやユーロ圏など、同じ島国と言っても地理的、歴史的、文化的背景が違いすぎて、この単純な比較をどうとらえたらいいのかわからない。それにしてもこんなに差があるとは思わなかった。日本人そんなに少ないんだ。韓国とか台湾とか近いからもっと行っていると思っていた。確かに旅行興味ないって人は多いかもしれない。

モノを捨てよ 世界へ出よう (宝島SUGOI文庫)

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UNWTO Tourism Highlights, 2013 Edition

僕は去年にマレーシア、オーストラリア、ニューヨークで3回、おととしはカリフォルニアだけ、3年前はタイとインドで2回、4年前はベトナム、チェコ、ヨルダンの3回、それらが全部観光で、今仕事辞めてトロントにいる。そこだけ見たら、異常に見える。でも自分を海外志向だとは思っていない。

ベトナムへ行く前はパスポートも持っていなかった。その前の海外と言えば10年以上前に家族でハワイに行ったことと、もっと前にグアムへ行ったぐらいしかない。統計上の日本人と変わらない。英語は話せないし、外国の文化もマナーも知らない。基本的には興味もない。同化したいとは思わない。飽くまで日本の嫌な部分を解決している参考程度に見ることしかなく、その国の事情や背景についてはあまり知らない。
外国人にも興味はない。かと言って日本人に興味あるということにはならないけれど、やはり外国人については日本人より圧倒的に知らないし、知ろうともしていない。僕はなんだかんだで内側しか見ていないような気がする。グローバルとかよくわからない。

日本が好きかという問いは、両親や兄弟が好きかという問いと同じようなもので、あまり意味がない。仮に嫌っても、両親であり祖国だ。
ただ、日本のシステムが良いとか優れているという風にはあまり感じられない。日本の常識とか空気とかいう大して根拠の無い凝り固まったルールには、僕は適応できなかった(首相の靖国参拝とか本当にどうでもよすぎて、それを誰がどう思おうと、どうでもよすぎる)。外国については、どこの国がどうだとかいうのは聞きかじったことを口にする程度で、本質的には知らない。手放しにどこそこの国を賞賛することもできない(インティファーダが酷すぎたとかイスラエルが酷すぎるとか、どれだけ熟知したとしてもどっちが正当かなんて自分には判断つかない)。

僕は良くも悪くも日本人でしかない。例え日本に適応できなくても、他を熟知したとしても、国籍が変わってしまったとしても、日本という国がなくなってしまっても。そしてそれは、幸でも不幸でもないのだろう。どんな国に生まれても、人は自分の生まれた国を嘆くことはないんじゃないだろうか。他の国に生まれたかったと言う人が、生まれ育った国以上に他の国のことを知っているとは到底思えない。

日本の未来や、僕の未来はあまり良いことが無いと思う。しかし、どんな未来が待っていようとも、僕は内向きで閉鎖的な極東の日本人でしかなく、それを特別誇ることも悲しむことも無いのだろう。