幼い頃の友人

初めて友達と遊んだのは、2歳か3歳の頃だった。当時住んでいた家の隣に、同い年の女の子が住んでいた。昔のアルバムを見ると、その子と僕が二人で写っている写真がたくさんある。家が隣だったからよく遊んだし、その子のお兄さんとも仲が良かった。正直なところ、もう顔も思い出せない。25年以上前の事になる。
どんな遊びをしていたかは覚えていないけれど、普通のままごとだったんじゃないだろうか。その後僕は保育園に通うようになり、その子も同じ保育園に通うようになったが、一緒に遊ぶことが少なくなったように思う。よく覚えていない。
そのうち僕は引っ越すことになった。その子とはまだ同じ保育園には通っていたけれど、家が隣でなくなったためさらに疎遠になった。引っ越したため小学校は全然別のところに通い、全く縁が切れてしまった。
数年後に偶然同じ高校に入学しており、再会したものの、僕は相手が誰か全くわからなかった。その頃の僕はあまりにも歪んでいたため、一言二言話すだけで再び縁がつながることはなかった。相手から話しかけてきてくれたというのに、ひどい態度をとった。目も合わせなかった。「全然覚えてない」と言った。事実だったにしても、今だったらそんな対応はしなかっただろうな。高校で見かけても再び会話をすることはなかった。

保育園で覚えているのは、戦隊モノのテレビ番組や、仮面ライダーとかそういう子供向けの特撮ヒーロー番組の話ばかりしていたということだった。かなり前だけど親戚の子供が同様にそういうテレビ番組の話ばかりしているのを見て、時代が変わっても同じ事をしているんだなあと奇妙に思った。あれはどういう構造をしているのだろうか。男の子はなぜ、量産型のように同じものを求め続けるのか。何かがインプットされているのだろうけれど、それを解析した人はいないだろうか。いたら教えてください。とにかく、保育園での記憶というのはそういう会話を毎日していたことぐらいだった。しかも僕は嘘をついてた。よく話していた友達が、僕が見たことのない番組の話をしてたから、僕は合わせて自分も見たことがないどころか、存在しない番組のことを創造して話していた。今思えば何だったのだろう。

女の子は、ませた子はまだ光GENJIとかが現役だったので、そういう話をしていた。僕は全然知らなかったけれど、彼女らの話についていくためによくわからないままテレビを見た覚えがある。僕は4歳か5歳当時映画ばかり見ていたので、そのませた子のお母さんがサラ・コナー(初代ターミネーターの主人公)に似てるなあなんて思っていた。

保育園の友達というのは分け隔てがなく、学校のように人数も多くなく、派閥もなく誰とでも仲良かったように思う。僕は保育園の時に空手に通っていた。初めて行ったのが4歳ぐらいで、先生は山男みたいな人でデカイ声で怒鳴っていて、怖くてずっと泣いていたけれど、そのうちついていくようになった。その後保育園の友達とも一緒に通うようになり、よく喋っていて怒られた。その時はなんで怒られるのかわからなかった。先生の息子がいっこ上で、その子とも仲良くなった。
その道場は僕が小学校に入る頃にはなくなっており、僕は引っ越したから空手の縁というのはそこまでだった。道場に通うのはめんどうだったけれど、友達もいて僕は半分遊びに行っているような感覚があったので、それが急になくなったのはよくわからなかった。道場で知り合った人たちと会うのはそれっきりだった。その後に先生の息子と一度だけ会ったが、時間が経っていたこともあり、お互い初対面のような感じになっていた。

4歳か5歳の頃というのは本当に幼くて、縁が切れるということもあまり理解していなかった。自分たちの都合ではなく、引っ越しだったりなにかのはずみで、昨日まで仲良かった友人たちと急に、二度と会わなくなった。子供だった僕達自身は、そのことをに対して無頓着なままでどうしようもなくただ時間だけが過ぎたように思う。引っ越したと言っも同じ市内だったから、大人からすれば会おうと思えば普通に会えた距離だったけれど、僕たち子供同士は機会が無ければ会うことなんてできない。
子供達が自分の意志で会ったり関係を育んだりできるのは、それこそ隣に住んでいるとか自分たちの行動範囲内に限られていた。そういった、二度と会わなくなった人たちが今頃どうしているか、大人になった今なら連絡を取ろうと思えば取れるのだろうけれど、その意思もなく、ただこうやって思い返すだけになっている。