学生日記

この歳で、半年限定の学生をやっている。それも、なんの目的もなくやっている。珍しいケースだろう。金を無駄にしているというか、人生を棒に振っているというか、まあそんなことはどうでもいいや。

学校では意外にも、自分と年齢の近い30前後の人たちを見かける。彼らは真剣で、こちらの大学に進学しようとしている。もしくは手に職を持っており、仕事のために勉強しているか、一時的に休んで勉強している。何もないのは僕ぐらいだ。歳とか関係ない。

1月の1ヶ月間同じクラスだった人が今週から大学進学コースに移り、その課題の多さに嘆いていた。でも進学するってそういうことなんだろうな。日本で大学入試を受ける時だってみんな必死で勉強したと思う。僕はそういうのに向き合ってこなかったし、いまだにそんなことをする気は起こらない。

僕はどうも人に触発されない性質なのか、何事にも気が乗らないとできない。そしてだいたい何事も自分一人で決めて、一人でやってしまう。補助を受けることはあるけれど、それも自分が頼んでやってもらう。人のそういう姿を見て、自分のことを考えたりはするけれど、それで気分を載せるということはできない。人に合わせることもできなければ、場に馴染むこともできない。人の意見を聞く事ができない。ずっと一人で生きている。

自分に圧倒的に足りないのは、能力であり、気分であり、理性であり、何もかもが足りない。天国も地獄も知らない。現実だって知らない。トイレの水だ。死体が流れている。

あってはいけないこと、もたらされてはいけないことが来ないことを祈るばかりです。

やはり僕は、流れとか、幻想とか常識から早く抜け出さないといけない。前例とか、規範とか、模範とか、そういうものをからも手を引かないといけない。体を動かさないといけないとは思うけれど、体は動かない。ずっと、幼い頃から眠り続けたまま、目覚めることはないと思う。良いこと、楽しいこと、積極的、前向き、そういうのを全部捨て去ってきたつもりなのに、幻影に囚われてしまっている。人の手を借りて、人の意見に乗っかって、そうやっているうちは抜け出せないだろう。自分の言葉だけで全てを説明できるようになるまで。手段にも囚われてはいけない。言葉に囚われてはいけない。全ては内側にあり、外側にある。一体である。僕の脳は腐っている。僕は本当に何も覚えることができなくて、何も答えを出すことが出来ない。

僕が物事を覚えられない理由の一つは簡単で、繰り返しが出来ない。今は記憶のメカニズムなんかが少し解明されているようで、長期記憶は繰り返しによって定着するとかかんとかっていう話をよく聞く。僕が繰り返しをできないのは、単純に飽きるから。飽きるとか、つまらないとか、めんどくさいとか、そういうのを誰がどのようにして乗り越えるのか、幼い頃からずっと理解できなかった。