東京寒々日記

いろんな意味で東京が寒いことなんかどうでもいい。生来、出不精引きこもりパラノイアアンチノミーヒポコンデリーな僕には、ああ、そういえば自分について的確な言葉が確かどっかにあった気がする。多分あれだ、偏執狂。
それはいいとして、どこに住んでいたとしてもやることは変わらない。対人コミュニケーションが苦手とか嫌いとか、そういうことはない。ただ積極的でないというだけで、必要がなければとらない。何が苦手かというと、事象に対して関心を持つことが苦手。それはコミュニケーションに限ったことではない。何事においてもだいたいそうで。例えばトロントにいることだって、会社を辞めてやることがないから、その言い訳として必要だっただけで、トロントに来たかったから会社を辞めたわけではない。外国には住みたいと思っていたけれど、そういうあらゆる要素が複合的に絡み合った結果の現状であり、一言で願望が働いてまっすぐにここにたどり着いていない。

大学の時にモーターサイクルダイアリーズの映画を見て、これはゼミの友人が借りてきたんだけど、それ以降チェ・ゲバラとフィデル・カストロについて知った。僕はどちらかというと歴史の人その人であるフィデル・カストロの方に興がわいた。キューバの国家体制作りやキューバ危機、現行の医療制度、教育制度についてなど。幸福な国の条件は、水と医療と教育の3つだと思う。これらがあれば富がなくても幸福であり、富がなければこれらはもたらされないとも言える。これらが揃っている国というのは、だいたい無条件に幸福と言えるかもしれない。例えばカナダがそうだ。キューバに富は足りていないが、この3条件のうち水以外揃っている(水も足りてはいるし沸かせば飲める)。

キューバに旅行するのはここトロントではメジャーなことで、なぜなら直行便が飛んでいるのです。3万ちょっとで行けるそうだ。トロントからケベックまで3万近くするんだぜ?というわけで、そのうちキューバに行く。学校を休むのはもったいないから終わってからかなあ。ちなみに治安については中南米では一番安全じゃないかと言われている。

キューバ及びフィデル・カストロに対する関心というのは、フランス革命もロシア革命も、我らユーゴスラヴィアが誇るパルチザンでさえ成し得なかったことを、まあ侵略者からの独立という形は違えど、成立させているからということになる。そういう国は他にもある。ヴェトナムがそうだ。中国は、あれは成り立っているとは言わない。キューバもヴェトナムも多民族国家ではないから事情は異なるが。彼らにできて、我らに出来なかったこととはなんだろう、何故だろう、何が足りなかったのだろう、何が必要なのだろう。僕らは彼らから学べることがあるはずだ、あるはずなのに。

カナダ人のアイデンティティというのはややこしいそうだ。アメリカ人は国籍取得するにあたってアメリカ国家への忠誠を堅く誓わされるに対して、カナダはその辺りがゆるく、家族ぐるみでの移民が多い上に自国のアイデンティティどころか国語さえも持ち込むことが多いから、新しくカナディアンとしての国民意識が育たないということだ。それに対してケベコワはフレンチカナディアンの帰属意識が強く、ケベック州だけの独立まで目論んでいるということだ。ブロック・ケベコワという政党がある。ケベックはカナダでも別という意識が遠い昔から強く働いているそうな。またケベックの話か。カナダに居る間に見ておきたいものとして、イヌクシュクがあった。