ストレスフリーな生活が続いて社会復帰できない

去年の7月から無職で、そこから8ヶ月ほどストレスフリーな生活を続けている。これはあまり良くないなあと思った。この8ヶ月でストレス耐性が全く無くなってしまった。
会社員だった頃は毎日ストレス漬けだったため、辛かったけれどそれが当たり前で慣れきってしまっていた。良くも悪くも多少のことでは動揺しなかったし、サポートもあって結果対応もできた。今は無理だ。

今日会った人は日本でもカナダでも働いていたからか、ストレス耐性を維持できているっぽかった。とても嫌な目にあって怒鳴り込んだけれど解決せず、他の手段をとったみたいだ。僕はその話を聞いていただけで日本でのストレスをトラウマのように思い出してしまって、緊張してしまった。重症だ。それで今の生活がいかにストレスから解放されているのか気づいた。

それはいいことだけどよくない。適度なストレスが無ければ、それも自分ではなく他人からのストレスを、それも意図しないストレスを受けなければ、メンタルが弱り切ってしまう。今は確実に社会復帰が出来ない。これは何も日本に限ったことではないだろう。理不尽な扱いを受けたり、失敗したり、人に迷惑をかけて怒られたりと、自らを多少のストレスに晒して、メンタルを鍛える必要がある。そうしなければ何の仕事もできず、何も乗り越えられないような気がしてきた。自分は今確実に弱っている。他人と言い争う気力も無ければ交渉する自信も無い。特に自分に非がある局面を乗り越えるだけの活力が損なわれている。他人のストレスを緩和したり打ち返したりする前にたじろいでしまう。

思えば、会社員の時に1週間か10日だか旅行した時も、その都度帰ってきたら5月病のように鬱屈としていた。今はそれの強烈なやつが来ているんじゃないかと思う。それも立ち直れないぐらいの。その一方で、ある先輩は「旅行で充電したから気合入って働いている」と言っていた。もうこれは器の差だろうか。

そんなことを考えていると、やっぱり生きるのはつらいなあ。人と関わって生きていくのは無理だ。でもそのうち働き出したら吐きそうになりながらも慣れてまた逃げ出したくなるんだろう。やはり物事の根本的な解決策というのは存在しないのかもしれない。

僕にとってこの世というのはまさに地獄に見える。力があれば、自由に何事も成し遂げることができるこの世は、まさに天国なのかもしれない。僕はその真逆になる。
僕が見ているこの世というのは、野生である。野生を想像してもらいたい。サバンナの草原で、アマゾンの熱帯雨林で、北極の氷の上で、人間はなんて無力なんだろうか。着の身着のままで動物に殺されない自信がある人はいるだろうか。家も食べ物も用意されない場所で生き延びる自信はあるだろうか。風雨や寒暖、孤独に耐え忍ぶ自信はあるだろうか。
そういう恐怖を常に感じている。草食獣は常に肉食獣に狩られる危機の中を生き抜かなければならない。生まれてから死ぬまで、その危機から決して逃れることはできない。なぜならその立場こそが草食獣だから。もし自分がそういう立場であれば生きることについて、人生についてどう感じるだろうか。僕らは良くも悪くも草食獣ではない。
人間はどうか。人間は狩りをすることも採集をすることも農耕を行うことも選択肢としてある。現代においてその選択肢は無限にある。しかしそれは、選択肢なんだ。いづれかを選択しなければならない。選択から、恐怖から逃れることができるわけではない。選択から逃れられないという点においては本質的に野生にいることと変わらない。どこにいても恐怖はつきまとう。