「知らないと損する」←損しない

「お金」「楽しみ」「便利」についてのトピックを煽る際によくこの『知らないと損する』というフレーズが使われる。知らないと損する、ただ知らないだけで損害を受けるという不安を煽る文句だ。僕はあまり好きじゃない。だって、どう考えても知らなかったほうが幸せだったから。

知るタイミング

必要な時に必要な情報に辿りつけない時点で、その人の情報収集能力における限界は見えている。事が済んでから有益な情報を知ったところで不幸になるだけだ。
それでは、後からではなく事前に「知らないと損する情報」を取得していたところでどうなるか。使わない。「知らないと損する情報」を知ったからといって、必要のないことを始めるだろうか?元々やらなくていいことをやっている時点でそれは損している。
使わないとしても、有益な情報は覚えておけばいい。いざ使う時まで覚えているだろうか。絶対に覚えていない。覚えている必要がない。大体の情報には賞味期限がある。その時有益だった情報がずっと有効とは限らない。
ではいつ知った情報が有効なのか。必要な時に調べられる範囲で出てきた情報が、自分にとって唯一有効な情報で、それを用いるしかない。その時辿りつけなかった情報に対して「知らなくて損した」と嘆くことに意味は無い。

知って得する?

『知らないと損する』というフレーズで、たまたま話題に挙がっていた情報に価値が有るのか。僕は無いと思う。 特定の情報について知りたい人が、調べた結果その情報に辿り着いたという場合においてのみその内容というのは有効だろう。さらに、ここで該当するのは本当は『知らないと損する』ではなく「知って得する」だろう。知らなくても損はしない。知らない状態というのは単にニュートラルな状態だ。何かをしようとして、行動を起こす前に得する情報に辿り着いたならば、それは「知って得する情報」だ。それだけ。知らないと損する情報などは存在しない。

知らなくても損はしない

『知らないと損する』というフレーズはつまり、僕にとって嘘と同義だ。 知らなくても損しないんだよ。どこかの増田も言っていたが、「得しない=損する」という発想から早く抜けだした方がいい。ニュートラルな状態はマイナスではない。「損をする」ということに敏感になればなるほど、あなたは不幸になります。