英語うんぬん以前にコミュ障だったという話

ただいま日本におります。1週間ぶりに英語を使って、全然上手く出てこないなーとか、なんであんなに覚束なかったんだろうと思ったら英語以前の問題だった。意にそぐわない、身に余る行為をしてしまったせいだ。

I have a communication disorder

僕は生まれてこの方、必要なことしか話さなかったりそれさえも端折る傾向があった。それはトロントにいた時も同じで、英語学校にいるにも関わらず最低限伝わる単語しか使わなかったり、ほとんど何も発言をしなかったり、一見すればまるで金をドブに捨てているかのような学生だった。それは英語が下手だからとかシャイだとかやる気がないとかいう以前に、コミュ障だからだった。
コミュ障、非コミュ、この手の話題は既に書き尽くした。僕は必要がなければ4年ぐらい口を開かないかもしれない。そんなことはないけれど、僕の場合はよくありがちなピンポイントにクリティカルヒットを叩き込む感じの話し方で、型に嵌れば話し続けたり質問追及し続けて止まらなかったりする。極端で中間がない、不器用でバランスが取れない。トロントでも酒が入っている時に急に喋り出して韓国人に驚かれたりしていた。

身に余る行為とは

僕は普段無口なのに、今日は何故か円山公園のベンチに座っていた外国人の人に"Can I take your photograph?" と声をかけてしまった。「いいよ撮ってあげる」「いや、そうじゃなくてあなたを」みたいなやりとりがあり、怪訝な顔をされながらも"OK"と言われロクに会話もせず撮らせてもらった。さぞ意味がわからなかっただろう。"Do you want to see this? I can send you if you want."みたいなことを言っていたら"NO"と言われ、ありがとーじゃーねーという感じで逃げるように僕は去って行った。こわいよー

話せる時と話せない時の違い

僕は営業やコンサル的なことをしていたけれど、あれは仕事と割り切っていたし慣れもあった。コンパなんかでも場が用意されたら結構平気で会話をしていた。内容は別として、少なくとも言葉に詰まったり、たどたどしくなったり逃げたりすることはなかった(プレゼンは苦手だった。大多数の前で話すのはできなくはないけれど嫌でしょうがなかった)。この違いは何かというと、必要であるかどうか、に尽きる。自分が「必要で仕方がないから」と思ったり、興が乗ればなんとかできる。逆にやらなくてもいいことを無理してやろうとすると失敗する。

できあがった写真です

結局写真もシャッター速度の調整を忘れて露光過多になったり撮影者である自分の影が入ったりして失敗した。そこに気を使う余裕もなかった。なんでこんなことしたんだ。意味がわからない。

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思えば以前の雪辱を果たそうと躍起になって失敗した感がある。

カメラを持ち歩くということ - Letter from Kyoto