愛想がいいということ

僕の周りにいた人とか、会社の先輩とかによく「愛想ないねー」って言われていた。僕はだいたいその人達に「愛想いいの嫌いなんですよ」と言っていた。
"愛想がいい"と言ってその人をもてはやしている人も意味がわからなかった。僕の母親がそうだ。愛想がいい人なんて僕には詐欺師にしか見えなかった。愛想の良し悪しで人を判断することに根本的な違和感があったことと、それ以上にやはり愛想のいい人自体が苦手だった。その理由は小学校の頃の同級生に遡る。

K君

小学校の同級生にK君という人がいた。彼は非常に愛想がよくフレンドリーで、割と簡単に誰とでも仲良くなるし、女の子にもモテていた。顔もカッコよく、背も高かったから。ただコイツはとんでもなく裏表が激しかった。彼の愛想の良さは"営業"でしかなかった。もしくは処世術と言える。彼がそれに長けた背景というのは僕は思い当たるが、この際は無視する。僕は彼自身を嫌いではなかったものの、彼のドス黒い面を嫌悪していた。あまりにも昔のことなので詳細は覚えていないが、卑怯を絵に描いたような人間だった。外面が良くても影で人をボロカスに言っていた。人を食いものにして平然としているような存在だった。それでも言われている本人は知らなかったりパフォーマンスがうまいから、まわりは皆彼に味方をして不器用な人間を貶める傾向があった。僕にとってはまさに敵のような存在だった。

愛想がいい→疑う対象

それ以来、その小学校の頃の刷り込みで、愛想のいい人を信用しなくなった。あれは全部中身の無い嘘で、まやかしで、その愛想の良さの裏にドス黒い意図があるのだという風にしか見れなくなった。(なんで愛想みたいな嘘騙しに、人はいい気になれるんだろう?)(なんで目先の愛想に騙されて本質がねじ曲げられていることに気づかないんだろう?)そう思っていた小学生が愛想を良くするはずがない。そして本当に誠実な人間、本当にいい人というのは、愛想の良さなどというテクニックではない明るさや、人の良さ、特に前面に出てこない部分に秘めた誠実さ、暖かさを持っているということを知った。僕は人と相対する時でも上辺に捕われず、その人の本質を見極めようと努力するようになった。そして愛想良いことに対して毛嫌いするようになった。

世間一般では重宝される

それが僕が愛想が悪いことの言い訳にはならないと思うかもしれないけれど、愛想の良さなんて本当にどうでもいいことなんだ。僕にとっては。それを周りがどう思うかについても、それは周りの人の問題であって僕の問題ではない。特にビジネスの場では愛想のいい人がもてはやされるようだけど、僕はそんなことよりも仕事の中身を重視していたし、上手くやる人よりもちゃんとやる人を崇めていた。そんな風に考える僕の方こそ歪んでいると思う人もいるだろう。この愛想に関して僕の意見というのはマイノリティだと思う。ただ、今まで生きてきて、愛想がいいだけの悪人に一度も出会ったことはないだろうか?人に取り入るのが上手いだけのタダの卑怯な奴を知らないだろうか?愛想よくすれば世渡りがうまく行くのは吐き気がするほど知っている。そんなものに何の価値があるんだ?あ、金と健康と平和か。どうぞご自由に。

補足

愛想がよくて本当にいい人も知っている。それが本質から滲み出てくる人の良さである場合もあり、その場合はすぐにわかる。演技で愛想の良さをやっている人は、すぐ僕に対して愛想よくしなくなる。僕にそんなことをしても意味がないから。その人達とは、そこから初めて本当の、人と人とのカマシのない付き合いが始まる。そして良い付き合いをしてもらうことも多々あった。ただ僕はそれでも彼らの愛想の良さだけは受け入れられなかった。K君もそうだった。