同じ行き先、違う旅行

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photo by “Caveman Chuck” Coker

資本主義経済社会で生活していると、消費に対する考え方が違うなあって思うことが多々ある。先日も、旅行の費用が高いか安いかで意見が分かれた。

$400の旅行

今月末にカナダのNewBrunswick州へ旅行することになっており、その費用が宿と交通費だけで$400ですよと言われた。それを聞いて僕が最初に思ったのは「あれ、高くね?」だった。そしてそのプランを作った人に「これ高くない?」と聞いてみた。
その旅行というのはレンタカーを借り、6人か7人乗りで往復3,000キロだかの道のりを走ってニューブランズウィックへ向かおうという話だった。僕はてっきり安いものだと思っていた。2月にケベックへ行った際にはバス代が$180、宿泊が$60でせいぜい$240程度のものだったから、距離もそんなに変わらないのに自ら運転という苦労までして$400?バスより高い金払う意味なくない?と思ったのだ。

プランを作った彼から返ってきた答えは「飛行機より安いです」だった。飛行機でカナダ国内を飛ぶなんて発想は初めからなかったけれど、僕がバスの話をしたら「バスは乗る人数が多いから安いんです」と返ってきた。それは理屈としてわかるが、運転という苦労とリスクを背負ってさらにバスより高いレンタカーを利用する価値なんてないんじゃないかと、僕はその時感じていた。

この$400というのは僕にとって高い数字だったが、彼にとっては安かった。実際それだけの事なんだろう。僕が何故高いと感じたか。それは先ほど挙げたケベックの事例や、飛行機でマイアミまで行くのに$350程度しかかからないからだった。普通$400使うならマイアミ行くやろ。さらに僕が先日ニューヨークに行った時に使ったのは$2.5のバスと、宿泊$57程度だった。バスはセールではなく通常で取っても$100程度で、ニューヨークまで行って滞在しても$400なんて使うことはない。カナダ国内で旅行する程度のこと(それがニューヨークより遠いとしても)に使う金額じゃないと思ったのだ。つまり、価格が価値に見合っていないと思った。
そんなことを相手に問い詰めたところで「じゃあ行かなければいいじゃないですか」となるだけの話なのでそれ以上何も言っていないが、僕はここで金銭感覚の違いというよりも、消費に対する考え方の違いを感じた。

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photo by NoHoDamon

消費志向ではない

これは単に、僕がお金がないとかケチであるとかいう話で終わらせてもいいんだけど、そこらへんを掘り探ってみると、僕はやはり消費志向ではないという点が根本的にあった。消費志向ではないとはどういうことか、僕の場合、消費することそのものに抵抗があるということだ。お金がもったいないから、お金を使いたくないから、それは嘘ではない。その背景にあるのは、お金なんかに頼りたくないという思いだった。
お金があれば大抵のことは解決する。お金が沢山あれば、お金を払うだけで物事はスムーズに運ぶ。旅行なんかはその典型で、金さえ払えばファーストクラスでもリゾートホテルでもガイド付きの観光でも5つ星レストランでも何でもついてくる。これが何よりも嫌だった。お金に頼っているだけで自分では何もしていない。考えてもいない。そんな旅行がしたいのか。僕はそうではなかった。僕の旅行に対する態度というのは、なるべくお金を使わないというものだった。貧乏旅行が目的ではないが、せっかく旅行をしているのだから、お金で得られるもの以外の何かを得たいと思う。むしろ、お金を費やさないからこそ得られる何かを求めてしまう。安いから得られたもの、苦労したから得られたものというのは、旅行においては大きいんじゃないかと思う。ただ単に高いだけの無駄なものに対してお金を費やすのは勿体無く感じるし、お金を使わないことでこそ得られるものがあるなら尚更贅沢ではなく、さらに遠くへ移動するなり長く旅行をする方向に使いたいと思う。
お金は思考さえも奪う。自分は子供の頃よく母親に、「財布に十分お金を入れていけ」と言われていた。何故か問うと、「何かあった時に便利だから」ということだった。僕は逆に、子供の頃から多くのお金を持ち歩きたくなかった。それは「お金を持っていれば使ってしまうから」だった。持っていなければ使えない。お金が使えなかったらお金を使わずにどうにかしようと考える。僕はコミュニストではないけれど、お金に縛られるのが嫌で、「お金がゼロでもなんとか生きていけたらいいのに」とずっと思っていた。

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photo by Capt. Joe Kickass

価格と価値

僕自身としてはお金をなるべく使いたくないという思いがあっても、必要な時やお金で解決したほうが楽な時があるのは知っている。大金をはたいたバケーションにそれなりの価値を感じて利用する人たちを否定することはない。ただ今回の旅行については、単純に価格に価値が見合っていないと感じた。同じもの、例えば同じアイスクリームが一方では100円、もう一方では200円で売っていた時、わざわざ200円の物を選ぶ人はいないだろう。そして今回の旅行はそのような選択を感じた。バスより苦労する上に、さらに高い。ここで100円のアイスクリームを選ぶというのはケチとかなんとかではなく単に合理的な選択であるに過ぎない。経済学に効用最大化という言葉があるけれど、ここで200円の方を選ぶというのは合理的な人間の選択ではない。苦労を金で買っていることになる。

話は変わるが、僕はやや高いデジカメを使っており、なんでそんなのを買ったの?と聞かれることがある。写真を撮りたいなら安いカメラなんていくらでもあるじゃないか。一眼レフだって10万以下である。でも僕がそのカメラを買った理由は写真が撮れたらいいだけ、綺麗な写真が撮りたい、というものではなかった。僕が今使っているカメラを買ったのは、レンジファインダーカメラという種類のデジカメを使ってみたかったから、というだけ理由で、その中で一番安かった物を買った結果だった。そのモノ自体が高くても、条件を満たしている中でそれが一番安かったのであれば、そこが一番合理的な選択となる。だから$400でマイアミに行くという話であればそれが高いとは全く思わない。$400も払ってわざわざ車を運転して隣の州に行くだけだから高いと感じるのだ。

もしかすると彼の場合、レンタカー旅行そのものに、高くても支払うだけの価値を見出しているのかもしれない。彼は車も運転も好きだし3,000キロと言ったってそれ自体がレジャーなのかもしれない。逆に僕は運転嫌いだしこっちで免許もないから運転しないけど、やはりどう考えても専属のドライバーがいてバス会社に任した方が楽だと思うので、その発想はない。僕の中で運転は旅行に含まれていないが、僕が200円のアイスクリームだと感じたレンタカー旅行は彼らにとってその+100円が運転することだったのかもしれない。そう考えると僕は理解できる。そうでなければ彼らにとっても$400のレンタカー旅行は価値に対して価格の高すぎる割高な旅行で非合理な選択になってしまう。そして運転も車も好きじゃない僕にとってはどちらにしても不合理な選択となる。多分ドライバーはもっと安く割り当てられているのだろう。

同じ行き先、違う旅行

そんなことを考えていたら、僕は他人の旅行についていくべきではないと思った。他人のプランに満足できないなら自分でプランを組み立てるか、一人で行くべきなんだろう。「旅行が好きです、旅行が趣味です」などと言っても、その旅行の中身が全然違えばそれは全く同じ趣味とは言えない。その二人では趣味の話題として旅行の話もできない。同じ旅行という言葉でも見ている物は全然違う。