facebookがリア充アピール祭会場だという意見について

facebookに否定的な意見をよく見かけるが、僕はどちらかというと肯定的な方だ。もしかしたら僕の利用の仕方と違うのかもしれない。

僕にとってのfacebook

一応補足として自分のことも書いておこう。飛ばしても問題ないはず。
僕は2010年、facebookが招待制じゃなくなった頃から利用しているものの友達登録は150人もおらず、そのうち50人ぐらいは今年に追加した人だ。それについては外国に来たからそうなっただけで、去年までは二桁だった。始めた当時は一人もいなかったし、そもそもfacebook上に日本人が全然いなかった。

その当時から今まで僕がfacebook上でしていることといえば、ただ写真をアップロードしているだけ。どの写真にも僕は写っていない(タグ付けされているのは別)。写真についての説明もない。ただどこで撮ったかというのをフォルダ分けしている程度で、わけのわからない景色とか建物とか人物の写真がひたすら並んでいる。特別な写真じゃない。

「いいね!」はほとんどされない

周りの人から見れば「この人なにしてんだろ、なにこの写真」という感じで、見ていたとしても軽くスルーされている。たまによくわからない人が「いいね!」を押したりする。最近ではyoutubeの気になったビデオを貼り付けたりsoundcloudの曲を貼っつけたりすることもあるけれど、だいたい同じように何の説明もなく唐突に貼るだけ。同様に反応はない。頻度も少ない。多くて月に5回投稿するとか、だいたい月1〜2件ぐらいだ。
投稿することは少ないけれど、他人の発言や写真、投稿を流し見してばばばっとコメントしたり気になった物をいいね!押しまくったりすることはある。facebook自体はだいたい毎日見ている。

何でそんな利用の仕方になったのか、最初からそうだった。自分の投稿について、気になったもの興味のあるものを共有しているというつもりはない。写真もビデオも曲もただ記録的に残しているだけ、言うならば自分のストックの場だ。「ああそうそうアノ曲なんだっけ」という感じで自分のタイムラインに戻って曲なりビデオを探すことも多い。あそこは時系列での情報の整理の場となっている。僕のアカウントというのはそんな感じだ。どうだろう?それほど変でもないんじゃないだろうか。

リア充アピールウザい?

僕としてはfacebook嫌いアピールしている人の気持ちがわからない。facebook批判としてよくある意見にリア充アピールウザいというのがあるけれどそんなに気にならない。友人が子供の写真ばかり載せていたから「お前の子供の写真なんか誰も興味ないねん」と直接言ったこともある。かといってそれは面白がって言っているだけでお互いなんとも思っていない。もちろん友人だって子供の写真を載せることをやめない。別にそれでいい。

会ったことある子供なら単に「ああ、デカなったなあ」と思うだけで、全然さらっと流す。あまりに投稿が多く内容に興味が無い人はさらっと隠す。見たくない人や投稿があれば、見なければいいだけの話だ。ちゃんとそういう機能が備わっている。そもそも友達登録しなければいいのだが、断るほどのことでもないので登録することも多々あるだろう。後から気に食わなかったら見えないようにしてしまえばいいんだ。

facebookの広告に関しても同じで、一時期出会い系広告が出ていたからそれら企業の広告を二度と表示しない不快通知をしまくっていたら、その手の広告が出てこなくなった。
それらは手間っちゃあ手間だし、そこまでして使いたくないって思うならそれまでだけど、快適に使う方法はいくらでもあると思う。そもそも空気が嫌いだとか興味が無いのであればfacebook自体開かないだろうし、怒ることもない。僕が肯定的なのは、同時にそれら他人の動向を羨ましいと思ったりしないからだろうか。

facebookそんなに嫌い?

facebookは言うならば年賀状のような存在になっている。友達登録している人は皆いろんなところに住んでおり、毎日会う人というのは一人としていない。彼らの「今どうしている」という近況がニュースフィードに流れてくるのは、僕にとっては悪くない(正直言うと僕はウォールの頃のほうが好きだったが)。彼らの投稿内容にアピールというのもそれほど感じなければ、怒りも覚えない。僕らはみな個々に人生を歩んでおり、その近況が遠くにいても、さして親しくなくても共有できるというのは全然いいことじゃないか。自分の投稿について、「いいね!」もコメントもしないけれど「あれ見たよ!」と直接言ってくる人がおり、ああ見てるんだなあとしみじみ実感することもある。facebook上では無反応だけどちゃんと見ている人が意外に多かったのは面白い。
もし「いいね!」を強要されると言うのであれば断ればいい。それが出来ないなら利用しなければいい。それでもfacebookが足枷になるというのは、少し変な話だ。

おそらくfacebook批判をしている人は、事実使っていないと思う。合わない人だってそりゃあいるだろう。利用した時の悪印象が残り「facebookウザい」という思いを引きずったままなんじゃないだろうか。でも使わなくなったものを、もしくは使っていないものを敢えて批判するというのも変な話だ。使っていないのであればそれで終いではないか。そりゃあ「なんで?」って聞かれたなら答えるかもしれないが。

facebookの物語は面白かった

個人的には「若き天才の野望」を読み、映画の「ソーシャルネットワーク」も見て、成長物語としてのfacebookは面白いと思う。非常に興味深い。だって世界で12億人も使っているんだよ!?そんなサービスある?日本発のサービスでそこまでユーザーを獲得する話というのは未来永劫見られないと思う。 

フェイスブック 若き天才の野望

フェイスブック 若き天才の野望

 

しかし、夢がある。夢が夢でしかなく、自分と歳の近い社長が大富豪というのはある意味絶望的でもあるが、やはり技術革新とかサービスの革新というのは見ていて面白いし、facebookが単なる人との繋がりの場を超えてソーシャルという新しい概念を体現する場となっていることや、社会運動の場となったりデモの起点となったり実社会に影響を与えてるというのも面白い。
マーク・ザッカーバーグのインタビューを読んだりして、古い記事だが「最近facebookがクールじゃないと言われているが、俺はクールなんて目指していない。facebookは生活に必要なインフラを目指している。電気がクールだなんて思うかい?」みたいなコメントも面白いと思う。

もし「facebook好きか?」と聞かれたら「別に好きじゃない」と答える。ただ習慣のように見ているだけだ。でも嫌いだけど敢えて見ている人とか、使っていないのに嫌いアピールする人というのはちょっとよくわからない。