サラエボ事件から100年

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6月にウォール・ストリート・ジャーナルの記事「サラエボ事件から100年」を読んだ。現在、今年いっぱいまでサラエボの博物館の外壁にはフランツ・フェルディナンドとガヴリロ・プリンツィプの写真とともに「20世紀が始まった街角」という横断幕が掲げられているそうだ。これは見たい。

サラエボ事件とは第一次世界大戦のきっかけになったと言われている事件だ。ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで、オーストリア=ハンガリー帝国フランツ・フェルディナンド大公が若きセルビア人活動家のガヴリロ・プリンツィプに暗殺された事件である。サラエボは僕が最も行きたい場所の一つだ。

ヨーロッパの火薬庫

バルカン半島はヨーロッパの火薬庫と呼ばれていた。理由としてはその狭い地域に様々な民族、宗教が混在しており、またその背後には古くからロシア、ハプスブルク家オスマン帝国といった大国が控え互いの勢力がせめぎ合う場所であり戦争の火種となりやすい地域だったことによる。またさらにその中でセルビア人は、独立を求めていた。
第二次大戦時においてもクロアチアナチス・ドイツと組んだ。ヤセノヴァツ強制収容所などが有名だ。反対にセルビア人は連合国側に擦り寄ったが、その後結局バルカン半島をまとめたのは共産党パルチザンだった。

ガヴリロ・プリンツィプ

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日本の歴史教科書でもガヴリロ・プリンツィプは写真入りで紹介されている。彼の写真は不気味だった。中学生の頃、僕は彼の写真を切り取ってクラスメイトの机に置いておいたことがある。もちろんクラスメイトはガヴリロ・プリンツィプなんて知らなかった。
彼は日本の教科書においてもテロリスト、暗殺者、といった扱いだが、このガヴリロ・プリンツィプについても各民族によって見方が違うらしい。オーストリア=ハンガリー帝国に支配され、独立を望んでいたセルビア人からすれば、彼は理想主義者、革命家という扱いを受けている。その辺りの詳細も上に挙げた記事に載っており興味深かった。暗殺に至るまでの経緯、事件の経過、事件後の彼がどうなったかなどまで書かれている。

第一次大戦の影響

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日本では第一次大戦について歴史で少し習うぐらいで、主戦場はヨーロッパでありそもそも日本はヨーロッパ戦線に直接参戦していなかったこともあって、印象が薄い。しかしヨーロッパにおいては第一次大戦の影響、禍根というのはかなり大きいみたいだ。
特にベルギーなどでは100年たった今でもその影響が残されたままになっていることが記事より伺える。8月4日の午後11時には、イギリス国内の全世帯の照明が消されたらしい。また、100周年ということもあり戦場や墓地への観光客も目立っている。

100周年ということで、欧州においては第二次大戦よりもその流れを作った第一次大戦を見直そうという動きが盛んなようだ。毒ガス、航空機、戦車などの近代兵器が登場し、君主制が終わり、ブロック経済が始まり、第二次大戦及びその後の冷戦対立構造、現在における米国とテロの対立、ロシアや欧州連合への流れを作ったのはそもそも第一次大戦だったのではないかという見方だ。
僕自身も第一次大戦についてはかなり疎いため、この機会に知ろうと思った。

 

第一次世界大戦

第一次世界大戦