何もしていない状態が一番楽だ

小学生の頃、夏休みが長過ぎて早く学校始まってほしい、早くみんなに会いたい、などと言う生徒がいた。僕には全くその気持ちがわらなかった。夏休みはいつまででも続いて欲しかったし、暇でやることがない夏休み自体もなんら苦痛ではなかった。
同様に、休みが続くと働きたくなるとか寂しいから人と会うために何かやっていたいとかそう言う人の気持ちは全く理解できない。人と会う手段なんていくらでもある。僕は仕方なく学校へ通っていたし、仕方なく会社に行ってた。社会的に強制されなければそんなことやるわけがない。

何もそう言う人たちが嘘を言っているとは思わない。仕方なく働く上で前向きになるための方便であるとか、自分を正当化するためのこじつけだという風には感じない。おそらく本気で寂しいとか学校行きたいとか会社行きたいとか思っているのだ。全面的にというわけではないかもしれないけれど、いくらかは本気だと思う。確かに同じことばかりやっていたり、ずっと一人でいたら暇で飽きるというのはわからなくもない。ただ僕がそれを理由に学校へ行きたいとか仕事したいなどという風には全くならない。仕事や学校は嫌いだしだるいし何があっても行きたくない。一つ確かなのが、その人たちとは永久に分かり合えないだろうということだ。

僕は去年に仕事を辞め、今外国でダラダラと生活しているのがとても心地よい。この生活というのは不毛で金と時間を浪費するだけ。何も生み出さない。永遠につづくこともない。お金が尽きたら終わり。ダメ人間か廃人まっしぐら。まともな未来を描いている人なら避けて通る道だ。生活費を捻出するためにラーメン屋でバイトを始めたが、どうやらクビになりそうだ。「あまりにも仕事が遅い」と言われた。バイト自体大変でやりたくなかったから、生活費が必要な半面、働かなくていいことが嬉しい。今週一週間はシフトを入れてもらえなかった。

一個人として、社会人として、人間として終わっている部類だろう。でも今の僕は学生だった頃より会社員だった頃より生きることに前向きだと思う。働いてなくて怠けているけれど、今すぐ死にたいとは思わない。死にたい気持ちが湧いてこないだけの事が、どれだけ精神的に楽な事だろうか。大事な人がいるから死ねないとかそんな言い訳をする必要もない。自分はこう、暇な時間とかやることのない退屈な時間とか、一人で部屋にこもっていたり庭で太陽を浴びている時に生きている実感を覚える。これこそが自分の人生だと。一生懸命になったり必死になったり命を削って何かを残したりするために生まれてきたわけじゃなかったのだ。