差別に対する意識の違いについて

昨日の日本人の外国人観ではないが、日本に住んでいると人種、民族に対する差別意識というのが違う。日本で言う差別とは障害者や同和地区、在日外国人に対して行われるものであり、いわゆる外国人が言う肌の色などの差別意識とはまた別物だったりする。

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僕はこっちに来てトロントニアンの人に聞いたのが

「僕は日本人ばかりの日本から来たからわからないんだけど、人を色で呼ぶのは差別にあたらないのか?

という質問だった。というのも彼らが人を指す時に「あのホワイトガイだよ、あのブラックチックのことさ」みたいに色で指し示していたからだ。色がパッと見一番わかりやすいというのは合理的なんだが、別の場で全く色を用いられずに区別されていた例があった。iconapopだ。

彼女らを紹介するとき、黒人の方、白人の方と言われているのを見たことがない。背の高い方、とか髪の短い方とか呼ばれている。日本語の説明でも大抵そうなっているだろう。これは公の場だからそうなのだろうか。

話を戻そう。Jesseというイングランド系のトロントニアンに、先ほどの質問を投げかけたところだ。人を指し示す時に肌の色を用いるのはレイシズムにあたらないのか。

「時々あたる」

というのが彼の回答だった。仲間内で呼び合う程度なら色そのものには問題ないということだったが、東洋人を指して「イエロー」は言わないということだ。「オリエンタル」もアヘン戦争から来た差別にあたる言葉だとか言っていた。ほんまかいな。

 

Jesseは次のような意見を述べていた。

「差別意識は誰でも持っている。全員持っている。自分はアラブ人が嫌いだが、その意識はなくしていきたいと思っている。昔はもっと嫌いだったが、この差別意識は徐々に軽減されてきている。なぜ自分が彼らを嫌いだったかというと、彼らは往々にして失礼だからだ。自分の事しか考えず、周りのことを見向きもしない。自分はイングランド人だ。ジェントルメンの自分たちからすれば、彼らのそういう態度には我慢ならなかった。」

多分、彼らが言うにはお互い親しければ仲間意識の上で多少の暴言も許容されるというような感じだろう。前住んでいた家のインド人も、家の中ではスラングの下ネタのFワード連発だったが普段や見ず知らずの人に対してはおとなしかった。ただ僕ら日本人からすると、その仲間内の距離感とかムードというのが非常にわかりにくいため、親しくなるために暴言を吐くのはよした方がいい。