たまに僕のことを「行動力がすごい」みたいに言ってくれる方がいるが、多分それは誤解だと思う。一人で外国へ旅行したりシェアハウスを始めたり、そこに見ず知らずの外国人旅行者を無料で泊める「カウチサーフィン」を受け入れてきたり、6年以上働いた会社を30歳を前にして辞めたり、その足で外国に住んだり。やりたいことをやりたい時に好き勝手自由に行動しているように見えるかも知れない。しかし現実の僕を知る人は、僕が全然そんなタイプの人間ではないことを知っている。

僕自身はてきとうで優柔不断で、やらないといけないことは大抵なんでもギリギリまで引き伸ばす。出不精で人当たりも悪く社交性もゼロ。何か言われたら大体迷わずNOと答えてしまう。いわゆる"easy going"な人間ではない。僕の決断というか、行動というのはそのほとんどが、他に手段がなくどうしようもなくなった最後の一手なのだ。他にやることがないから、他に手段がないからやる。それしかなかったのだ。

いつもギリギリだった。キャパが小さいとか器が小さいとかケツの穴が小さいとかよく言われる。そのギリギリの状態から逃げる手段としての行動だった。僕は自分の限界をよく把握しているつもりだ。幼い頃からずっと、誰とも相容れず自分だけの世界で生きてきた。一部例外はあるが、基本的にはずっと独りだった。自分に向き合い、自分と対話してきた。それはまるで、多重人格者がお互いの人格同士で今後を相談し合うように。

今僕が自殺せずに生きているのは、また、怪我も病気もなく生活できているのは、運もあるがそれ以外はこの対話のおかげだ。大体中学生ぐらいの思春期の頃から死について考えてきた。死にたいと思っていたとか自殺を試みてきたとかそういうわけではなく、死について考え、死をずっと身近に感じてきた。何かきっかけがあったかも知れないが、身の回りで誰かが死んだとかではない。些細な事だ。そして、無理をしてこなかった。無理しようとすれば僕自身が体やメンタルに異常を知らせ、その際にためらわずストップをかけてきた。それは自分自身を、自分の主観で客観的に判断してきた結果だ。入院とかしたわけではないため、他の人から見れば余裕があるうちに切り上げ、楽をしているように見えるかもしれない。その解釈も間違ってはいないと思う。僕は自分を、唯一の自分を奴隷のように酷使してこなかった。自分の引き際を知っている。

「自分に限界を作ると人は成長しない」などという言葉があるが、これは僕には当てはまらない。自分の限界を超えた成長など求めていないが、この言葉が当てはまる人というのは、自分以上に自分のことを見てくれている恩師などが傍にいるケースや、その人に伸びシロがあったり潜在的に余裕があったり、苦難があると燃えるアグレッシヴな人たちの事だろう。そうでない人が限界を越えて元には戻れないほど壊れ、リタイアしてきたケースは何人も見てきた。また、僕にも必死になって考えに考えた案を出したり、汗だくになりながら営業に行ったあと深夜3時4時まで働いたり、それが何ヶ月も続いたことはある。しかし大抵のことは達成しなかった。達成した場合も、達成感は得られなかった。軋みと歪みと疲れと、少しばかりの評価とお金だけが残った。そしてそれらももう失った。

これまでとってきた行動というのは、勇気や熱意といった情熱が限界を越えさせたものではない。会社員の頃は「恨み」だけが原動力だった。それ以外の個人的な行動について、冒険心はあったものの自分ができる範囲内のことしかしていない。確かに5年前まで外国に住むなんて想像もしていなかったが、かと言ってそれが自分の成長の結果であるとか、今の自分から今後ますます遠いところへ向かっているとかそういうものではない。全く変わっていない。幼少期、4歳ぐらいの頃から一歩も自分の枠を出ていないだろう。今まで生きてきた人生、これから何年生きられるかわからないが、全て元からある自分の枠内の出来事だ。

事実、何も成し遂げていない。良い大学にも入っていなければ、在学中に何もしていない。就職はしたが、やはり世の中についていけなかった。外国へ出てきたのも、それが「死ぬ前にやりのこした事」の一つだったからだ。世界一周放浪の旅に出たわけではない。誰かが用意した既存のルートを歩んでいるだけ。英語もままならない。発見はあるが、成長はない。人に感動を与えることもできなければ、有名になることも一財を築くこともできなかった。それどころか、世間一般の生活、普通の人間にまでも至らなかった。

日本で言う「大人になる」という意味は、無私にあると思う。日本人という農耕民族で形成された日本という村社会は、個より公、一人の成功より助け合いを重視する。我欲を捨て、世間に通用する手段を学び、世の中を渡り歩き、仲間のため、家族のため、未来のため、日本社会のためにつらいことも顔をしかめず笑ってこなす、足りなければ努力で補い、苦労も厭わず、そういう人たちを否定しない。そういう人たちが日本を作っていると思う。すばらしいとさえ感じる。僕はそうはなれなかった。むしろ足を引っ張っていた。そういう無力感、劣等感が僕のギリギリの選択へと繋がった。

ありがちな言葉で思いつくのは「日本に居場所がない」という言葉だ。でもこれは僕には当てはまらない。トロントにだって居場所なんかない。僕は「自分の居場所」をあまり意識したことがない。そんなものは今まで生きてきて、目の当たりにしたことがないからだ。家、学校、コミュニティ、居場所で悩む人というのはどこかで誰かと分かち合いたいのか、または自分の能力が発揮できる、活き活きと活躍できる場を求めているのか。そのどれもが自分とは違う。強いて挙げるとすれば、自分の内側が僕の唯一の居場所だ。