本を読む人は少ないのか

僕は自称「趣味:読書」だけど、いわゆる趣味:読書の人たちとの間に齟齬があるということを以前に書いた。 

 

どんな本を読んだか

実際僕は活字中毒でもなければ読んだ本も少ない。現代作家の本は基本的に読まない。エッセイなんかも読まない。ビジネス書、実用書などはほとんど手に取らなくなった。このあたりは大学生の頃が一番読んでいた。もちろん技術書は読まない。ここから読んだ本の紹介になるため、興味がなければ飛ばしてしまおう。

今まで何を読んできたかというと、古典文学、小説といえばコレ、というような太宰治や三島由紀夫、芥川龍之介、森鴎外、夏目漱石、安部公房などの超メジャーどころをよく読んでいた。同系統で海外文学。ドストエフスキイ、チェホフ、トーマス・マン、カフカ、カミュ、サリンジャーなど、まあ本当に「文学かじりました」という小説を読んでいた。最近のものであれば村上春樹とか。

どの作品が好きかとなると、読んだ時期がバラバラなため絞るのは難しい。太宰治であれば僕はずっと「おさん」という短編が好きだった。「右大臣実朝」とかも好きだった。太宰といえば自殺芸の人だと思われがちだが、ところどころ笑いを誘う箇所も多い。僕の執拗に追い立てる癖は太宰の影響もあるかもしれない。

三島由紀夫であれば「奔馬」とか好きだった。「豊饒の海」はエンターテインメントとして面白いんじゃないだろうか。「春の雪」「奔馬」ぐらいだけど。大学生の頃、「英霊の聲」が読みたいのに文庫化されておらず、図書館にあった全集で読んだのを覚えている。

芥川龍之介に関してはこのブログにも書いているため、興味があればそちらを。

夏目漱石についても僕が実際読んだのは「彼岸過ぎまで」「行人」「こころ」ぐらいで「坊っちゃん」も「吾輩は猫である」も読んでいない。「行人」についてはまとめた。

村上春樹についてもブログでよく取り上げている。

森鴎外も結構読んだけどあまり内容を覚えていない。「阿部一族」とか「雁」とか「高瀬舟」「ヴィタセクスアリス」「舞姫」読んだのは高校の時だったかな。10年以上前。

安部公房はなんというかその世界に近づくことが難しい。「カンガルーノート」なんか全然意味がわからなかった。「箱男」もよくわからなかった。「砂の女」や「第四間氷期」「燃えつきた地図」はおもしろく、わかりやすかった。

ドストエフスキイは「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」しか読んでいない。チェホフは戯曲を結構読んだ。「桜の園」から入り、「かもめ」が一番好きだった。「ワーニャ伯父さん」とか他にもいくつか読んだけれど昔過ぎて全然覚えていない。トーマス・マンも「魔の山」だけ。カミュも「異邦人」だけ。カフカについてはここで何度も取り上げている。サリンジャーも同じ。

 

文学以外だと「星を継ぐもの」シリーズは「ガニメデの優しい巨人」まで読んだ。続きが読みたい。去年読んだものでは「シャンタラム」が圧倒的に面白かった。旅行ばかりしていたこともあり「深夜特急」や「青年は荒野をめざす」などの旅行本もいくつか読んでいる。蔵前仁一さんの本なんかはエッセイに含まれるか。

 

小説、物語についてはこんな程度だ。大学生の頃は新書もよく読んでいたが今は殆ど読まない。僕は趣味:読書に入るだろうか。少なくとも本を読まない人ではないと思う。その他文学に限らず感想文なんかも公開しているため、気になったら読んでみてください。

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本を読む人が減ったのか、活字を読む人が減ったのか

さて、やっと本題に入りたい。現代人の活字離れ、本を読まないというメディアの喧伝は長く続いているが、僕の印象ではあまり変わっていないんじゃないだろうかと思う。まず、ネットを見渡せばこれだけ本を読んでいる人が、書評をしている人が存在する。その多いこと、多様なこと、10数年前のテレビが高視聴率を叩き出し天下を取って国民総テレビ漬けだった時期よりむしろ多いのではないだろうか?当時はネットがそれほど普及しておらず、顕在化していなかっただけかもしれない。

単に「活字離れ」だけを指すならば、ネットと携帯の普及はそれを押し戻す結果になっただろう。印刷していない物は活字じゃないという話はとりあえず無視して、近現代においてこれほど人が常に活字に触れていることはあるだろうか。携帯電話からメール、テキスティングへとメイン媒体は映像や音声ではなく活字へと移り、ブログやSNSといった媒体で、日常的に自ら文章を書く人も増えた。まさに文字媒体の復権といえる。最近ではまたビデオが主流になりつつあるが。

僕の印象としては、単に「活字」という点だけ見れば明らかに増えたと思う。ラノベなんかはあれほど話題に挙がっている。人々がテレビ、雑誌という媒体からただ情報を取り込んでいた時代は終わり、それらに対する個々の議論も含め、より活字を扱う時代へと戻ったようにさえ感じる。

僕が今これを書いているきっかけとなったのも、以下の記事を読んだからだった。僕はこの立花さんの本を読んだことがない。

NHK クローズアップ現代

僕は新聞はもう全く読まなくなったが、こういう記事を読むことはネットの普及以降格段に増えた。「見境なく」ではないが「むさぼるように」読んでいると言っていい。スマートフォンなどでこういう短い文章に触れることは、特に若い人々にとってより身近になったんじゃないだろうか。

本を読む人は元々少なかった

では本はどうだろう。ラノベも本だという話はとりあえず置いといて、僕はあまり変わっていないと思う。出版不況と言われて久しい。雑誌なんかの売上は落ちているだろう。廃刊も目立つ。雑誌はどちらかというと余ったお金の行き場所だった。出版不況は単に不景気を反映していると思う。「若者の車離れ」とかと同じで、問題は人にあらず単に経済が行き詰まった結果に過ぎない。出版にしても車にしても、市場のルールが変わったことは大きいだろう。Amazonの台頭や安価な韓国製自動車の世界的普及。まあどれもこれも不景気がきっかけとなっている。ちなみにトロントでは、特に若い人の間で本を読む人は珍しいと聞いた。本屋も潰れまくっている。名古屋もそうだった。京都でも本屋は潰れまくっていた。これらの出版不況と活字離れは単純に結びつかないように思う。

本も安価な方へと流れた。ブックオフやKindle、これらの売上は出版不況にカウントされていないだろう。じゃあ本を読む人が多いのかといえば、少ない。でもこれは今に始まったことではない。僕の周りには元々本を読む人があまりいなかった。父と母ぐらいだろうか。高校ぐらいまで友人と本に関する話などしたことがなかった。大学でも限られた人としかそういう話題は出てこなかった。僕自身、高校まで全然本を読まなかったからだ。

特に若者であれば、敢えて本を読んだりしない。他に楽しいことがたくさんある。僕にはなかったから本を読んでいた。歳を重ねるとともに本を読む量が増える人もいる。女の人は知らないが、男だったら本当に増える。仕事などの必要にかられて読むこともあれば、趣味やその延長で本に触れる機会が自然に増えてくる。特にビジネス、自分の趣味、やりたいこと、新しい発想については本から学ぶことが多いんじゃないだろうか。それでもやはり、本と全く縁がない人も多い。この比率は果たして下がっただろうか。全く変わっていないんじゃないかと感じる。以上ただの主観でした。

余談になるが「何も勉強しなくて現代文の成績が良いヤツはクズ」みたいな話をネットで見かけたことがあり、これまさに自分じゃないかと思って笑った。僕は小学生の頃から読書感想文を書くのが好きだった。特に、指定された本ではなく自分で本を選べる時は喜んで書いていた。「手伝って」と言われて人の課題をまるまる僕が書いたこともある。でもそういう人は周りにいなかった。そういうのが好きな人。いたかもしれないけれど友達ではなかった。