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疲れた。日光と風が気持ちよく、このイスはなんて座り心地が良いのだろう。イスというよりブランコのような物で多少揺れ、崖を目の前にすると浮かんでいるようにも感じる。プラスチックボトルから口に含んだ水が全身に染みわたる。

そうやってくつろいでいると、後ろの方からこの広間へ向かってくる足音と、例の鳥の鳴き声がした。二人いるようで会話している。一人は高音だ。僕は慌てて立ち上がり、振り向いた。勝手に座ってしまったなあ。

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僕は二人と顔を見合わせた。二人は少し驚いた様子だ。僕は慌てて弁解しようとした。

「あの、すみません勝手に上がり込んで。馬を引いたヒゲのおっさんと女の人に中に入れって言われたから…」

二人とも無言で神妙な顔をしている。一人は50代ぐらいの男性。背は僕よりも低く、日に焼けた肌で歳相応に腹が出ている。馬を引いていたおっさんとは違い帽子をかぶっておらず、頭のてっぺんがハゲており、両サイドの髪にも白髪が混じっている。ヒゲも蓄えていない。襟のついた洋服、白いシャツを着ているが、下はズボンというより腰巻きのような、エプロンとスカートの中間のようなものだろうか。

もう一人は小学生ぐらいの女の子だ。10歳前後だろうか。真っ黒の髪にウェーブがかかっている。二つ並んだきれいな目玉が印象的で、鼻筋も通っており唇も薄い。こういう女の子はどこでも大抵痩せている。アバクロのTシャツを着ている。下もレースのようなひらひらのスカートだ。あれ。僕はもしかして、と思いもう一度話しかけてみた。

「I apologize to come in without asking, but I’m a just tourist and looking for some hotels or something like that, do you know where can I stay?
(すみません、勝手に入って。でも僕はただの旅行者で、泊まれるところを探しているんですけどどこか知りませんか?))」

「ハウロング?」

「May be 2 or 3days or 1week.
(多分2、3日か、1週間ぐらい)」

「オーケイ、ユーキャンステイヒア」

やはり英語が通じた。僕もおじさんも片言だったが、お互いの意思はうまく伝わったようだ。それにしても、ここ?ここに泊まっていいのか?確かに広い家だけど、どう見ても宿ではない。そうだ、僕はこの国の通貨を持っていない。空港で両替できなかったんだ。

「ナイストゥーミーテゥー!」

女の子は笑顔で僕に挨拶をしてきた。おじさんの英語よりも澄んだ言葉だった。

「ナイストゥーミーチュートゥ」

僕は満面の笑顔で返した。こんなことがあるなら飴かチョコレートでも持ってくればよかった。カバンに入っていなかったかな。いや、来る途中で全部食べてしまった。今カバンにあるのはパンとか保存食とか味気ないものばかりだ。

女の子は言葉が通じたことで嬉しそうにしている。僕もうれしい。今まで空港からずっと言葉の通じない時間を過ごしてきたからすごく安堵した。

「カム!」

おじさんは僕を呼び、広間に入ってきた道を戻っていった。広間から更に奥の方向になる。ここに来てから僕はどんどん奥へと進んでいる。女の子は僕の横にいて、まだ何か話したそうにしているが、恥ずかしいのか何も口に出さない。僕がリュックとトートバッグを担ぎおじさんについていくと、その子は僕の後をついてきた。

通路はすぐに突き当たると真っ暗になり、光のある方向の右に折れ、そこから左はところどころ陽の光が入っているようで明るく、道が真っ直ぐに伸びていた。陽の光が入っていた部分はそれぞれ出入口のようで、全部崖側からの光が入っているのだ。こんなの、今はまだ夕方だから見えるけれど、夜になったら全く見えなくなる。この国には冬がないからこの造りが成り立つのだろう。昼も長いのかもしれない。

「カム!」

再びそう言うとおじさんはその廊下の一番手前の部屋に入っていった。廊下の奥にもまだ部屋があるみたいだ。僕はおじさんの後をついていった。そこは先ほどの広間のように明るかった。部屋だ。

女の子は僕を追い越して奥へと走っていった。部屋は広かった。ガランと広い。突き当りは一面崖、先ほどの広間と同じ造りだ。崖からの採光と、上から吊るされたソファが二つ。今そこの一つに女の子が座った。ソファを揺らして遊んでいる。崖を前にしてソファ、両サイドには壁に添ってハンモック、そのもっと手前に壁に添って机とイスが吊るされており、対面の出入口の両側には収納が吊るされている。床はタイル。一つの机にはノートと紙、本やペンが散らかっている。ティーカップもある。床には口が開いた大きなリュックサック、中から服が見えている。同じ側のハンモックにも脱ぎ散らかしたパーカー、くしゃくしゃのタオルケット、枕のような物体、メガネケース。

「ディスイズユアベッド!」

おじさんはそれらの反対側にある、空のハンモックを指した。机の上も空だ。なぜこのおじさんはこんな叫ぶような話し方なのだろう。顔を見れば全然怒ってはいないのだ。むしろ微笑んでいる。

「キャナイシーユアアイディ!?」

ID?パスポートでいいのだろうか。外国でホテルなどに泊まるときは必ずパスポートを拝見しますと言われるが、こんなところで見せるとは、きっちりしているなおっさん。僕はトートバッグからパスポートを取り出し、見せようとした。

「ノーノー、ディスワン!」

おじさんは自分の腰巻きからカードのようなものを出した。黄ばんだ紙で黒く縁取られ、文字なのか幾何学模様なのかわからない模様が紙いっぱいに色々な色で描かれている。僕はこれを見たことがあった。空港で少女から渡されたフダだ。僕は確かそこに名前を書いた。ポケットをまさぐった。そこにあった。ポケットから取り出し、おじさんに渡した。これがID?どういうことだろう。

「テンキュ!」

おじさんはIDを受け取ると、裏表を見てすぐに返してきた。

「テンキュ!」

おじさんはそういって部屋から出て行った。女の子もソファから降り、出入口の方へと走っていった。あの紙で何がわかったというのだろう。

「スィーユーレィラー」

女の子は笑顔ではにかみながら、また後でね、と言葉を残して走っていった。

「シーユー」

僕の言葉はあの子に聞こえただろうか。そういえば名前も聞いていない。おじさんもそうだ。それどころかいくらで泊まれるのかも聞いていない。後で聞こう。僕は荷物を床に下ろし、靴を脱いで空のハンモックの上に横になった。

この国は元々ソ連の支配下にあったが独立を掲げ、社会主義のままソ連とは距離を置くようになった。当然支援も受けられず、コミンテルンからも外された。この国では民族社会主義を唱え、全民族が一応共産党には属するものの各地の自治権が強いという体制をとった。国家が各地の自治をそれぞれの共産党員、つまり民族長に任せているのだ。裕福な国ではないが、そのままの体制が今でも続いている。この民族社会主義を唱えた人物が初代総書記となり、独立の英雄としてこの国の歴史に名を残している。民族間の争いを調停し、ソ連軍を打破したのが彼だったということらしい。僕は首都にある独立の広場を見てみたかった。旅の目的地はそこだ。広場の中心には、建国の英雄と各民族長が手を取り合う銅像が立っている。僕はその写真を歴史の資料集で見たことがあった。

僕はその政治体制とか歴史に興味があるわけではなく、ただ旅行する時には目的地を決めてしまわないと身動きできない。だからいつも、なんとなく当たり障りのない目的地を決めていた。そうは言うものの、この国には山もあり、ビーチも砂漠も温泉もある。観光で知られた国ではなく、全く整備されていないがそれが逆に穴場とも言える。目的地が終わっても、ついでにゆっくりして行けばいいだろう。

この国についてはあまりにも情報がなく、ガイドブックも発行されていない。飛行機も香港からしか買えなかった。地図も世界地図みたいなものしかない。それを見たところで空港がどの位置にあったのかさえわからない。降り立ってみれば、入国はすごく雑だった。言葉は通じない。両替もできない。タクシーは酔っ払い。道路もない。道路が始まっている。変わった国だと思った。僕は今までこんなところに来たことがなかった。田舎には行ったことあるが、田舎とは少し違う。なんだろう、貧しいからというほど貧しくもない。華やかさが無いのに、どこかファンタジーの世界のようにも感じる。

僕は全くの不安を感じていない。それどころか好奇心で爆発しそうだ。でもこの国のゆったりとした流れと、穏やかな自然につられてリラックスしてしまう。だから僕の好奇心は、まだ深いところで留まっている。知らないことだらけだ。僕がこの国で知っているのは歴史の資料集に載っていたことと、後はわずかWikipediaに載っていたことぐらい。

あんな話し方をするとは思わなかった。でもあの言語はこのあたりに住んでいる人だけなのかもしれない。税関のおっさんもあの言葉だったからどうだろう。国語なのか?わからない。僕はそんなことを考えながらハンモックに横になり、うとうとしていた。

「カム!フード!」

広間から呼ばれたようだ。ここの家のつくりにはドアの概念がない。その代わり出入り口を長く湾曲させて作ってある。だから広間からも大きな声を出せばここまで聞こえる。おじさんが普段から声がデカイのはそのせいか?いやそんなことはないだろう。部屋と部屋の間が厚いのは、岩の加工の理由からだろうか。強度の問題か?それにしては崖側をくり抜き過ぎている。よくわからない。

僕は広間へと向かうため、ハンモックから体を起こした。だいたい何でここの机やベッド、イスなんかまで上から吊るされているんだ。僕はそのフックの部分を見上げた。天井を網目状に走る補強具のようなフレームにフックは引っ掛けられていた。傾いても外れることがないよう口が閉じられているタイプのフックだ。カラビナと言った方がいいのか。収納棚や家具などは、上から吊るすロープが邪魔にならないように、それぞれ壁に沿って各面に設置されている。僕は部屋の真ん中から各用途ごとに向きを変えて動けばいいだけ。真ん中に何もないから部屋が余計広く感じる。

もう一人の宿泊客は、間違いなくさっきの女性だ。女性と相部屋とかあるのか普通?この家はこんなに広い割に、言うほど部屋が余ってないのだろうか。以前にもゲストハウスでこういう事があった。だから僕自身は気にしないが、あの子は大丈夫なのだろうか?勝手にルームメイトが決まり、東洋人の男、でもいい人そうだったからあまりそういうのは気にしないのかもしれない。少なくとも旅行者同士だったら気にしない。見たところ学生かもしれないが旅行者っぽかったから大丈夫だろう。僕はそう勝手に解釈していた。事実その子は全然気にしなかった。むしろ気にしなさ過ぎた。

僕は広間の方へ、廊下を通り抜けて向かった。広間に吊るされたテーブルには女の子と、先ほどの西洋人の女の人が既に座っていた。

「Heey! How are you? What's your name? Where are you from? How long have you been here?」

「え?ちょっと待って、ウァット?」

「Oh sorry, nice to meet you I'm Anne! What's your name?.」
(おーごめんね、私はアン!よろしく!名前は?)」

「僕は健。Ken。ナイストゥーミーチュートゥー」

僕はアンと名乗る彼女の向かいへ、女の子とはちょうど斜め前に腰掛けた。

「アイムリミ!」

女の子が割り込んできた。英語で話しているのが楽しくて参加したくなったのだろう。

「ハイ、リミ。ワッツアップ?」
(調子はどう?)

「ナッスィンマッチ」
(変わりないよ)

リミはちょっとしかめっ面して応えた。面白い。

「アイムジョン!レッツイート!」

おじさんはそう言いながら奥から食べ物を運んできた。テーブルのそれぞれの前に置かれた食事は、陶器の器の上に魚や野菜が入ったようなどろどろしたスープ。スプーンとフォークが添えられてるのは僕らへの配慮だろうか。それにしてもジョンはないだろう。

「イート!」

僕は手を合わせた。いただきます。

「ワッツダット!?」

リミはいただきますの動作を不思議がった。

「I've never seen that, is it like saying grace?
(初めて見た。おいのりか何か?)」

おまえもか。

「なんて言えばいいんだろう、it's kind of like a、ボナペティ?
(ボナペティみたいなもんかな?)」

「Bon Appétit? Not really, you looked so serious, it was sorta like you were saying grace.
(ボナペティ?違うと思うけど。すごく真面目そうに見えたし、お祈りっぽい。)」

どっちでもよかった。

「オーケイ、I think so
(そうだね。)」

「イート!イッウィルビーコールド!」
(冷めるよ!)

ジョンのおじさんは既に食べていたフォークを止めて僕らに声をかけた。彼は怒っていない。表情は穏やかだ。

僕はスプーンをとり、スープと野菜の具を掬って食べた。ベースは塩味だ。魚の出汁と香辛料の香り、さっぱりしているが少し辛く、口に含むといっぱいになる。具がたくさん入っている。魚は崖の下の川からとったのだろうか。どこかのスーパーで買ったのかもしれない。崖の下からとった魚であってほしい。

「So, where are you from? I'm from Auckland, in New Zealand
(それで、どこからきたの?私はオークランド。ニュージーランドの。).」

「アイムフロム、ジャパン」

「Japan? Sweet as!」

ああ、英語圏のノリだ。懐かしい。このわけもわからず何でもとりあえず褒めてしまう感じ。合わせておかないと。

「オークランド is also nice, バット I have never been there.
(オークランドもいいところだよね。行ったことないけど。)」

「Same here, I've also never visited Japan
(うん、私も日本いったことないし)」

やっぱりそうか。

「So, what are you doing here, Why'd you come?
(で、ここで何してるの?なんでこの国に来たの?)」

アンはスープを食べながら僕に質問を浴びせてくる。英語のあまりわからない僕に合わせて、簡易な英語で話してくれているように感じる。リミは途中会話に入りたそうにしながらも、食べて聞いている。タイミングをうかがっているのだろう。ジョンおじさんは黙々と食べている。

「何をしているかって、ただの観光だよ。just site-seeing」

「Site seeing? in this country? You're a little weird, eh?
(観光?ここで?あなたちょっと変わってるね)」

「You think so?
(そう思う?)」

お前が言うのかそれを。と思ったが英語でなんて言っていいのかわからない。

「But you're also weird then, because you were here before me.
(でも、君も変じゃないか。だって君は僕より早くここにいるんだから。)

「Yeah, exactly.
(確かにね。)」

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