生きていてもいい事はない

世の中には希望が蔓延している。輝かしい未来、未知なる発見などもそうだが、より身近で具体的なのは、金、物、生活、人との触れ合い、中には欲を煽るものも多い。僕はそういうものと決別してきたとは言えないが、見る度にうんざりすることが多かった。そこに自分自身に対する救いを見出だせなかった。僕の周りにいた人たちは金を稼いでは何かを買い、そうやって希望をつないでいた。より良い生活を目指して。

 

しかし僕はその、かろうじて生活できる以上のお金を稼ぐことで希望をつなぐことをはできなかった。実際に物を買ったり旅行したりするものの、そのために苦痛をこらえて我慢したり、それがあるから頑張れるなんてことは全くと言っていいほどない。例えば、テレビやネットで海外の絶景が紹介されていて、いつか見たいと思ったとしてもそれを見るために頑張ってお金稼ごうなどとは全く思えない。だりいよ。

それらは僕自身が無能で無価値で、お金を得るまでに至る道筋が極めて苦痛に満ちているからという理由も大きいが、その割に得られる喜びが小さく、労働とお金を基礎とした資本主義経済に僕は合っていないんじゃないだろうかという気がする。能力と努力をある程度正当に評価できる今の制度よりいいものがあるのかと言っても思いつかないけど。

とりあえずこの世界で暮らす限り、このまま生きていたってさして良い事なんてない。じゃあどうするのか、死ぬのか、と言ったって死ぬのは大変だ。正直なところその痛みや無になることについての恐怖もあれば、今のところそこまで絶望もしていない。今すぐ行動を起こすほどには。だからいい事ないなりに漠然と生きていくしかない。それでもやはり、生きるにあたって避けられない痛み、苦しみ、悩みというのはなるべくなら遠ざけたい。それを上回る喜びを感じることができない身としては、それらは死に直結する。

かと言って、生きるにはお金が必要だ。僕を無条件に生かしてくれるスポンサーなんか存在しない。いたとしてももっとましなことにお金を使って欲しいと思う。世の中の希望をつなぐ寄付や、人の助けとなるもの。僕一人を助けたってどうしようもない。さすがにそこまでは落ちぶれていない。なんとか死なないように一人で生きていくしかない。お金を得る手段があるなら死なない程度にすがりついて、なるべく人に迷惑かけないように。

最悪親に頼ってもいいんじゃないかと思う。頼れるのであれば。自慢じゃないけれど僕は今のところ親に頼っていない。学生までは子供だったからそうではなかったけれど、大学を卒業してからは自分一人で生きていた。親に金をあげたり貸したことはあっても、借りたりもらったことはない。これは別に自分なりの信条でもなんでもない。だからいざというときに頼れる人がいるのであれば頼ったらいいと思う。僕もそうする。頼れないけど。

僕みたいな存在というのは、早く消え去ってしまったほうがいいように思う。より寛容で余裕がある社会ならまだしも、実際誰もがしのぎを削っている。誰にだって迷惑だし、誰にも迷惑をかけなければいいというものでもない。実際この文だって迷惑の一部に含まれるだろう。学問のすすめの初めの方にあったのは、存在自体が迷惑な人だ。あれに僕は含まれると思う。人がこの世界を生きるにあたって悪い例だ。いっそいない方がいい。

でも僕は、それが誰かの希望になればいいかななんて夢想をする。「自分より酷い奴がいるんだ」「こうはなりたくない」「この人だって生きているんだ」「そういう生き方も許容される世の中の方が、実は素晴らしいんじゃないか」そう思う人が一人でもいれば、僕は多分生きていける。僕は害虫に違いないけれど、それが害虫の役割かもしれない。あなたの生きる希望はなんですか?それがより良いものであることを、僕は願うばかりです。