読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

週刊Letter from Kyoto

白人女がバカにされる風潮

友人の車に乗っていると、よく鈍臭いドライバーの挙動に対して友人が腹を立てている。まるで大阪人のようだ。僕が大阪に住んでいた頃、当時の上司は車で現場へ向かう途中、交差点で目の前の青信号を直進しようとしていたら、右側から交差点を自転車で渡ろうとしているおばさんがいる。もちろんそっちの信号は赤だ。上司は運転席の窓を開け

「赤や!!」

と叫ぶとおばさんは驚いて立ち止まり、上司は車のスピードをゆるめることなく突き進んだことがあった。

スポンサードリンク  

その話は別にいいとして、友人がよく言うのは

「ホワイトガール(白人女)は運転下手クソなんだ。」

事実かどうかはよく知らないものの、こちらではやや定説のようになっている。他に、例えば映画なんかでもよく見かける、日本人もよく知っているのが「ブロンド女はバカ」。

また、アジア人女性が好きなカナディアンが言っていたのは

「日本人女性は優しい。カナディアンはダメだ。特にホワイトガールはひどい。」

彼自身も白人で見た目も服装も普通、仕事もしている。特に変な人という感じではないんだけど、同じカナディアンの白人女性に対してそういう印象が強いみたいだ。

僕は事実関係をよく知らないからなんとも言えない。ただそういう認識を持つ人がいる。例えば日本では「巨乳がバカ」といった風潮があるけれど、あれと似たようなものだろうか。僕は白人に対してコンプレックスがそれほど強いつもりはないんだけど、一般的にモデルとか見てもそうだし、ただ街を歩いていても白人女がそこら辺のアジアンや黒人より美人なのは圧倒的であり、その容姿に対するやっかみみたいなものなのだろうか。ブロンドにしても、日本人女性の巨乳にしても。個人的な好みとかは別として。

そういうのって人種差別的じゃないの?って僕は思っていた。人種差別に対しての知識も経験も浅い僕ら日本人からすれば、どれが人種差別でどれがそうではないのか区別つかない。例えば、僕は一度カナディアンに聞いたことがある。これは以前にも書いた。

「ホワイトとかブラックとか色で呼ぶのは差別にあたらないの?」

「基本的には問題ない。僕らも人を指すときにブラックチック(黒人女)とかホワイトガイ(白人男)とかわかりやすい色で呼ぶ。ただ東洋人はエイジアンと呼ぶ。イエローとは言わない。あと黒人をニガーとも言わない。」

このさじ加減です。はい。わかりません僕には。基本的には「場合による」と言っていた。つまり「悪意がなければ、普通に使っていても悪意に取られることはない」という意味なのだろう。地域によって差もあると思うから、念のため確認してみてください。とにかく今回は、白人女が偏見の目で見られることがあったという話でした。

ハンバーガー第二弾

ハンバーガー第二弾はミンチを握った。それ以外は同じ。バンズにケチャップとマスタード、チリソース、ピクルス、ああ、チーズを買ってチーズを乗っけた。最後にマヨネーズ。わあなんてジャンクなんだろ、本当はここにトマトとレタスぐらい乗っけたら少しは健康的になるかもしれないけれど、高さ的に無理だ。これ以上高くすると顎が外れる。

マクドナルドのハンバーガーみたいに薄い肉とバンズが無い。まあ大きいのはそこか。肉はなかなかあんな薄く平べったい形にできない。あれは機械で加工してるからなあ。それはそうと、今回違うのはミンチを握っただけ。まあチーズ加えたけどこれはスライスチーズを乗せただけだから。ミンチも握っただけ。そんなに安くなかった。

何グラムだったか忘れたけど$4ぐらいで、3枚のパティが作れた。前回買った冷凍のパティが8枚で$12。同じ$12換算でミンチを買ったほうが1枚多く作れるだけ。しかも今回買ったミンチはセール品だったから、やはり普段通り買うならあまり変わらないという結果だ。肉高いんだな。ロブローズで買ったからもっと安い店に行けばあるんだろうけど。メトロはあまり変わらなかったなあ。

それにしても、ハンバーグの作り方みたいなのを検索してみたら、ミンチって卵とか豚とか玉ねぎとか色々混ぜるんだね、本当は。俺ただ握っただけ。第三弾というのは無いだろう。

誤字脱字が多い

このブログを以前に読んでいただいたことがあればわかったと思うんだけど、僕は誤字脱字がめちゃくちゃ多い。子供の時からの困りものだ。大学の卒業論文にまで脱字が有り、製本されてから気づいてしまった。それまでにも読みなおして直してはいたんだけど。特にキーボードで打っていると勢いで書いていることが多いから自然に誤字脱字が多くなってくる。別にプロじゃないんだしそのままでもいいやっていうスタイルの人も多いと思う。ただ僕の場合だと多すぎて酷いから、見つけ次第直すようにしている。

同時に、表現を変えることも多い。表現というか、言い回しであったり、不自然な接続語を後から自然なものによく直したりしている。たまに内容の追記までしている。僕は僕自身が何をやっていたか、何を考えていたか思い出すためによく自分の日記を読む。そしてその時に見つける。そして直す。基本的にはその時のままの状態を残して直すだけにしているが、たまに忘れていた内容を付け足す。

文章は読む相手や内容によって向き不向きや相性、好き嫌いがあるだろう。僕は僕自身を対象として書いているにもかかわらず、後で見返すと「なんでこんなこと書いているんだ」という事がしょっちゅうある。別に酔っ払っていた時ばかりではない。なんと言えばいいのか、他人が書いているような内容に見える。口調や表現の仕方だけでなく、内容までそう思えることが多いのだ。それは僕自身の中身が安定していない証拠なのだろう。

写真などを付け足すこともあるから、もしかしたらあなたが読んだ内容は次に見た時に変わっているかもしれない。もしくは、以前に読んだものが、今見ると変わっていることもあるだろう。いや、大いにある。ただ、僕の日記なんかを何度も読む人なんて僕以外にいないことはわかっているから、その点についてはあまり気にしていないものの、特に投稿したすぐ後に直す事がかなりあるため、何日か経った後に読んでもらえた方がより完全な状態になっている。特に誤字脱字についてはそう。気が向いたら以前の内容も読み返してみてください。そして誤字脱字を見つけたら教えて下さい。直すから。

フランツ・カフカが手紙魔だったという話

フランツ・カフカについてこのブログで何度も取り上げているから、誰それ、どんな人、っていうのは過去の記事を参考にしてもらうとして、誰でも知っている範囲でざっくりと説明すると、チェコの作家、ユダヤ人、本はドイツ語、第二次大戦前に結核で亡くなる。戦前は名前を知られていなかったが、死後、処分を頼んでいた書きかけの作品などが友人に勝手に発表され、20世紀を代表する作家の一人と呼ばれるようになった。

僕は文学的なことは全然わかっていない。ただフランツ・カフカに対しては妙な憧れが強く、彼の本は短篇集や寓話集なども含めかなり読み、また彼のエピソードについても非常に興味持っている。その一つがこの「手紙魔」だ。

彼は生前に数多くの相手、恋人や婚約者などと文通をしていた。そういう時代だったから、今で言うメール感覚だと思う。彼の変わったところは、実際会って話すよりも手紙のやりとりの方が好きだったというところだ。あまりに手紙のやりとりが好き過ぎて、相手に対して手紙の返信を催促したりする。いわゆる手紙魔なんだ。そして会うのは渋る。現代でそれをやると、ちょっと変な人だ。昔でもそうだったかもしれない。

世界的な文豪である彼の次元と僕とはかけ離れているけれど、僕自身、話すよりも書くほうが簡単で、楽で、スピーチとか演説とかは基本的にやりたくないし苦手だけど、文章を書け、原稿を書いてくれって言われたらそこそこ楽しんでできる。自分の考えていることや感情を伝えるのも、口で話すより文章で書いたほうがうまくいく。まあそれでも全然伝えることができない、それでも口頭で話すよりは全然ましなのだ。

どこで読んだか忘れたけれど、ラジオやテレビで育った世代というのはトークが上手くなる反面文章が苦手になるというようなことが書いてあった。僕は完全にテレビ世代だけど、テレビを見て育ったというより本を読んで育ったため、話し言葉より書き言葉の方が長けており、会話よりも文章の方が得意だったりする。ただ学術論文や小論文といった書式や作法が決まったものに関しては全く知らないから書けない。小説も無理。

そして僕もメール魔だったりする。現代でメール魔というと、ある種キチガイ扱いされる。メールに限らずLINEとかで長文送るのはある意味変態でしかない。僕がメールを書いていると終わらない。文章が終わらない。ブログもそうだけど、どこかで適当に区切りを付けない限り話が終わらないから、まとまらないまま終わらせたりする。ブログは相手がいないからそういう風になるけれど、メールだったりすると相手の人が「もう疲れた」となるまで延々と会話を繰り広げたりしてしまう。ああ、これ喋ってても一緒だ。

僕の話は置いといて、フランツ・カフカは返信を催促するような男だったけれどめちゃくちゃモテる人で、恋人だった人や婚約者だった人たちは皆、有名になる前のカフカの手紙を全て残しており、現在は書簡集という形でまとめられ読むことができる。しかし、カフカの手紙に対しての、女性たちからの返事というのは、カフカが全部処分してしまったらしい。カフカの一方的な手紙だけのが残っている。なんて野郎だ。