凍える冬の国で

連日気温の話ばかりしている。facebookを開いてみても、遠くから来た近くのみんなが自国の同胞たちを驚かせようと雪の様子や気温の写真を載せている。僕は京都で生まれ育ったから雪そのものには驚かなかったものの、寒さはこたえた。京都の冬も寒かったけれど、大学生の頃は雪が降っている中穴の開いたジーンズで歩いていた。ダメージ加工のジーンズではなく中学生の頃に買ったリーバイスの501を大学生になってもずっと穿いていたから。トロントの冬ではそういうことはできない。たまに半袖の人や穴の開いたジーンズの人も見かけるが白人だけだ。そして大抵は太っている。ここで生まれ育ったカナダ人は-20℃が1ヶ月続こうと毎朝出勤してショッピングに出かけ、カフェでコーヒーを飲み、子供なんかは屋外のスケートリンクで遊んでいたりする。それからホッケーだ。実にたくましい。寒さに強い。僕達日本人にとってはとても過酷な冬だ。

 

でも僕ら日本人だって、一日中ずっと部屋に篭っているわけにはいかない。毎日凍える街中を行き来しながら、過酷な冬を涙目になりながら耐えているかもしれない。そうだろうか?どうだろう。僕はこの冬が2回目だ。1回目の冬を迎えた時というのは、楽しかった。この凍える寒さが、今までに体感したことのない世界が、それでも普通に生きている人たちと、それに合わせて造られた街、社会、初めのうちは驚き、はしゃぎながらもいつの間にかその寒さと生活に慣れていく僕たち。「この寒さはいつまで続くのだろう?」日本の友人につぶやく。去年は3月になっても-6℃だった。わかるだろうか、この珍しいニュースお届け感。自分が体験していることも楽しいけれど、それを人に知らせる、何も自慢話ではなく「世界にはこんなことがあるんだ」をより多く、正確に伝えたい。

2度目の冬は、待ち焦がれていた。雪に抗い、苦悶の表情を浮かべながら毎日外を歩く。寒いどころではない。手袋をしていなければすぐに手の感覚がなくなる。帽子は耳まで隠せるものでなければ耳がやられる。出ている部分は全て凍りつく。顔が出ているだけでもつらい。目出し帽を被っている人も見かける。呼吸が苦しい。空気中の水分が凍っているのだろうか。足場は悪く、何度も滑って転けた。半年で4回風邪を引いた。家の中はTシャツにステテコ。暖かい。それでも外に出たくなる。部屋にいたって仕様がない。

 
 
 
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去年の3月の写真。