3月日記

今というのがトロントに住んでいる恩恵を一番感じる時期です。ハイ、花粉症の季節です。こっちにはありません。気温もようやく-10℃を上回る日が出てきて、外にも出れるようになってきた。外にはかろうじて毎日出ているんだけど、特に最近は廃人傾向が増しているため気分はもう一歩も外に出ていない。

去年の今頃は若者ばかりが集まる語学学校に朝早くから毎日通っており気分は幼稚園で今ぐらいの3月になると先生が

"spring is comming!"

とはしゃいていたが、今の僕はとてもそんな気分にはなれない。世の中を肯定的に見ることができない。それは最近のいろいろな不運というか不幸というかアンラッキーが重なって今僕がそのような状態に陥っているのだろうと思う。夜飲みに誘われても「寒いから」と言って断り、部屋のベッドを行ったり来たり。外国にいるんだから外国のニュースも取り入れないと、と思う。まるで日本にいるみたいで、家から外に出て周りみんなカナディアンで驚く。外国人は僕です。「ちょっと近くの駅をおしえてくれない?」「そこだよ、緑のPマーク見える?あそこを左に曲がって、あとはすぐ見つかると思う」コミュニケーションが取れていない。

今の状態というのは日本でもなく、日本以外でもなく、どちらでもない中途半端な状態。ただまあ自分の不能っぷりというか無能っぷりに呆れ、何もやりたくない状態が続いている。2年ぐらい。そういう意味で、環境っていうのも実は大事なのかもしれない。自分を後押ししてくれる環境に身を置くことは重要だと思います。誰かに後押しされることはなくても、少なくとも自分の足かせを取り除いた環境の構築は効率性の意味でも効果が高く、やり出そうと思うまでのハードルや障壁が低ければ低いほど壁にぶち当たる機会というのは増え、何よりもその機会を持つということがまず肝心であり、それが自然にスムーズに行われる環境というのはやはり何にも増して重要なのです。英語圏にいればそれだけで自然に英語が必要になり、日常的に英語を使うから表現を覚えたり慣れたり、英語のニュースや新聞も読むようになるんじゃないかって大きな間違いです。僕はこの地域にも社会にも属していない。せめてHDDが直ればなあ。湿っぽい。実に湿っぽい。

怒りがすごかったりする。苛立っているのだろう。何に苛立っているのかわからない。ごく自然のことに、簡単な事に。例えば、なぜこんなに寒いんだろうとか。そんなことに怒ったり苛立っても意味が無いというのに、当然のことに、日常的なバカに苛立つ。クソ苛立つ。僕は怒りを抑えながらも指摘するように、茶化すように伝える。目尻を痙攣させながら、奥歯をガタガタ言わせながら。この怒りの源泉は一体なんなのだろうと思うと、愚かさであったりする。自らの愚かさを呪うばかりに、他人の愚かさも受け入れることができない。前を歩く人が道を塞いでいるとドロップキックをかましたくなる。

とにかく道を塞がれるのが嫌いだ。前を歩く人がとろければ抜かす、立ち止まっていたらどかす、ぶつかる、当たる、道を開け給え、天下の公道をお前ごときが塞いでいいはずがない。止まるなら、邪魔にならない端に寄れ。これは車道だけでなく歩道でも同じ。道は流れているんだと。お前一人の思いつきで立ち止まるなと。特にど真ん中、止まるやつほどど真ん中。道のど真ん中に立ち止まることがどれほど邪魔になるか、車を運転する人なら分かるはずだ。いや、止まっても構わない。ただ道路は流れていることをわかっていてくれたらそれでいい。後ろからぶつかられることもあるかも知れないが、前で止まった人間が悪い。だから、歩くのが遅い人、ふらふらと邪魔な人、周りが意識できない人は公道に出ないで欲しい。免許を取ってからにして欲しい。別に遅かろうがふらふらしてようが周りが見えてなかろうが、端に寄ってくれていたら邪魔にならないんだからそれでいい。ど真ん中で立ち止まるなってことが言いたい。それができないならタクシーに乗るか引率をつけるか、そもそもそういう状態で外を歩くのは危険だ。それこそ免許がいる。

公道は危険だよという覚悟さえあれば、誰もどうってことはない。人類はそうやって人生を一度体験することにより先に起こることを覚悟することができる。メイド・イン・ヘブンの理想とする天国はまさにその覚悟有りき世界なのだ。