地震のことで今を振り返る

僕が今カナダにいることと、4年前の地震が全く関係なくはない。僕は当時名古屋に住んでおり、被害はなかったものの大きな揺れは体感し、仕事中だったけれどビルの人たちは全員外に避難した。その後、原発や節電のニュースが流れ、僕は当時もテレビを持っていなかったからネットの映像ニュースを見ていた。

名古屋では「東海大地震に備えて」なんていう名目で本当に橋が補強されたりしていた。それは東北地震の前から行われていたことだ。そして原発。本当に恐怖だった。今もまだ続いているが、その得体のしれない恐怖心というのは当時ほどではない。外資系企業のアジア支部が東京から香港やシンガポールなどに移ったりしていたがそれはそのままだろう。実態は変わっていないのかも知れないけれど、詳しくはわからない。ただ当時ほど騒がなくなった。そして今は原発が全て停止している。僕がいまだにいだいている恐怖は、また地震がいつどこに来てもおかしくないという恐怖。僕は日本から逃げた。少なくとも原発が動いてる日本にはいたくなかった。

そして周辺国。きな臭い半島と、その元締めである中華。台湾やフィリピン、ベトナムとも緊張状態の中での尖閣諸島や沖縄に対する姿勢。僕が大学生の頃、ある講義にゲスト講師として野村證券からの投資顧問みたいな人が招かれており、その人は「世界中の投資家は20年以内に極東で戦争が起こると予想してますよ」と言っていた。当時はまだ北京オリンピックも前で、よく中国はオリンピック後もたないと言われていた。しかし現実の中国はその軍事力も含め着実に世界のあらゆる場面でシェアを拡大している。戦争は起こらないだろうか?ロシアは去年戦争を始めた。シリアやイラクなどの惨状は今や日本においても誰もが知るところとなっている。現実として、あらゆる場所で戦闘はある。今まさにそんな危険の中にある日本には、なるべく居合わせたくない。

何も、僕がこうやってカナダにいる間に地震が起こればいいとか戦争が起こればいいとか思っているわけではない。何も起こらない方がいいし、僕だけ助かったところで身内がどうなるかわからない。僕自身も外国で一人路頭に迷うだろう。僕が望んでいたのはそういうことではない。いざ、もし難民として日本を逃れることになった場合、外国で暮らしたことがあるという経験は絶対に役に立つだろうと思った。難民申請の段階からそうなるかもしれない。日本人の大半は英語がろくに喋れない。僕だっていまだにそうだけど、何よりも外国でも暮らしていけるということを知っている。全く外国で暮らしたことがない人よりは少しぐらいましかもしれない。外国の友人が助けてくれるかもしれない。そこまではなくてもつてを辿って親切にあやかれるかもしれない。そういう場面でのそういう話は、おそらく生死に関わる。僕が日本にいる間に、もし日本を逃れる機会があれば、僕はそれまでの経験を役立て、身の回りだけでも多くの人を救えるかもしれない。それが僕が今カナダにいる理由の一つです。