異常者として生きるということ

子供の頃からずっと、変人として扱われ育った。日本語がわかっても、周りの人が言っていることの意味がよくわからなかった。ルールや常識というのも理解できなかった。ましてや共感、協調というのは皆無に等しい。そういう事が生まれてからずっと続いた。社会人になってからも「今まで会った中で一番変な人」という風に言われたことをよく覚えている。僕に対して「変じゃないよ」と言う人は今まで一人もいなかった。

 

いつでもどこでもずっと独りだった。自分の言っていることは常に相手に誤解され続けた。誤解がなかったとしても、異常だということで怒られたり、怖がられたり、驚かれることが多かった。人と自分との溝は深く、壁は高く、親がいようと、親類や友達がいようと、ある意味で天涯孤独だった。子供の頃は、当然ながら自分が普通であり当たり前であり、僕が言っていることは正論で、何も間違っていなければ変わってもいないと信じていたから、全く誰にも理解されず、むしろ忌避され続けていた事に大いに悩んだ。常に挽回しようと試みていたが、その点においてはただの一人も味方がいなかった。親兄弟、親族、友人の誰もがやはり、異常なものを分かるということはなかった。

そしていつの間にか、そういう人生を受け入れるようになった。「これはもう、一生続くな」と感じた。だったらそれなりに生きるしかない。異常者として。自分の正当性を示そうとするのではなく、一人の異常者として、それなりに生きて死んでいくしかないんだろうな。そう思うようになったのは高校生ぐらいの頃からだった。そして世の中で変わった人は何も僕だけではなかった。僕らは変わり者同士とはいえ、それぞれ全く違う方向を向いているから全く分かり合える間柄ではなかったんだけど、同等の扱いを受けるという点においてだけはシンパシーのようなものを感じることができた。同じく蔑まされる者同士。しかし大体において、彼らは何か特殊な才能を持っていた。極めて頭が良かったり、人に好かれやすかったり、キリストのように優しかったり。僕は、普通の当たり前の人達、人と共感し、協調し合える人たちではなく、彼らに憧れた。そして僕自身に何もないことを大いに悔やんだ。僕は彼らのようになれなかった。

僕とは全然違うものの、僕が受けたような「異常者扱い」を受ける人に対しては敬意を払うようになった。それは、あらゆる面でマイノリティの人たち。僕なんかよりも深刻な差別を受け、耐え忍び、孤独に戦ってきた人たち。彼らはマイノリティという意味において僕のように個の存在ではなかったし、中には少数派の信仰、民族、性的マイノリティといった社会に当然受け入れられるべき存在の人たちも多くいた。僕はずっと彼らを応援してきた。僕が受けてきたような扱いや、それ以上の凄惨な差別を受けている状況というのは、それが変えられる類のものであれば変わってほしいと願ってきた。それが治る類のものであったり、本人次第で変われる問題であれば、手助けでもしたいと思った。実際には何もできなかったが。

また、異常であったとしても某かの天性がある人は、僕が出会ってきた人たちのように光が当たって欲しかった。受け入れられる方向性があるなら示していきたかった。少なくとも彼らはそうあるべきだと思った。ただほとんどの場合、異常であっても才に恵まれている人は既に誰かに見出されていたため、僕ができることはほとんどなかった。

最後にもう一つ。自分が異常であるということが社会的に覆せない類のもので、尚且つ誰からも理解されないということを受け入れるようになってから、僕は開き直った。開き直るしかなかった。当たり障りのない場面で隠すこともあれど(大体において隠れていないと言われていたが)、どうしても関り合いが必要な人たちに対しては、自分の異常性を全面に押し出すようにしてきた。もちろん引く人のほうが圧倒的に多かったけれど、要件さえ満たしてくれたら何でもいいという人や、そんなことよりも誠実であることを評価すると言ってくれた人、中には異常であるということが面白いと言ってくれる人もいた。特に、面白ければいいという文化が根付いている大阪には比較的そういう人が多かったと思う。それらは僕にとって、生きる上での一つの道筋であった。本当に小さく狭い道であり、異常であるという大きな壁の前では脆く簡単に崩れ去るけれど、間違いなく一筋の光だった。この世界で誰にも理解されず、たった一人で戦っている誰か、彼らが、僕らが全てを投げ出してしまう前に、その僅かな道筋を何とか示したい。励ましたいと思う。ただまあ本当に、生きていくってことは大変だなあ。