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足元を見失う感覚

時々、自分が立っている場所がどこなのかわからなくなる。見渡せば、異国の人ばかり。顔つき、言葉、服装、表情だって違う。そんなところにもう1年以上もいると慣れてはくるんだけど、どこかいまだに異世界のような気が抜けない。僕はここと関われていない。ここにいる人たち、この土地と何処か遠い壁のようなもので阻まれている。僕はここに属していない。そう感じてくると、自分がその場にいることすら疑わしくなってくる。足元を見れば地面がある。見慣れない地面が。僕の足がその地面を踏みしめている。これは画面の奥の出来事ではない。自分の足だ。しかしその感覚が無い。全くと言っていいほどない。非現実感がとても強い。映画を見ているようで、テーマパークにいるようだ。そこにある物に手を触れる。会話をする。自分がそこにいることを実感するだろうか。逆だ。非現実が自分を侵食する。手を触れるとその手が曖昧になり、言葉を交わすと自らの存在が薄くぼやける。そこにいる、鏡に映った自分の顔さえも、どこか実感が湧かない。生活をする。食事をとる。街を歩く。人々を眺める。どこにも自分は存在しない。

それは外国にいるからではなかった。外国で浮き彫りにされた感覚ではあったものの、日本にいた頃から同じだった。ずっと、子供の頃から。自分は現実感というものを持ち合わせていなかった。存在感というものを感じたことがなかった。どこか遠い世界から、それはまさにインターネットのごとくアクセスして、閲覧している。アカウントを経由して参加している。そこに現実に行き交う人々とは、借り物の媒体を通して関わっている。自分は生身の肉体を持たないから、他の人同様コミットメントすることが叶わない。そういう感覚にずっと苛まれている。僕は言葉を通じて、それをなんとか言い表そうとする。言葉は元からそこにあるものであり、僕のものではない。だから他人に伝えることができる。しかしそこにある借り物の言葉は、誰かの物でしかない。僕は自分の感情を、自分の言葉で表現することができない。それができたとしたら、やはり誰にも伝わらない。それはもう言葉としての体を成してさえいない。そうやって同じ場所を行ったり来たりして、自分はいつまでもずっと、ここで、誰の目も届かない場所で溺れている。藻掻いている。