負けず嫌いは戦争の始まり

僕が言いたかったのは、個人的に負けず嫌いな人が苦手だという話を悪意を込めたタイトルにしてみた。僕はいつも大体負けている。だから僻みにも聞こえるかもしれない。そんな僕でもたまにビギナーズラックというか、勝ってしまうことがある。そういう時はラッキーと思うが、その向かいには鬼気迫る表情をした負けず嫌いがいる。超絶苦手だ。何故彼らは勝たないと気がすまないのだろう。負ける時があってもいいじゃないか。負けて悔し涙を流すのは構わない。勝ちに向かって必死になることも結構だ。スポーツなんかで勝ちに飢えて熱くなるのは微笑ましいというと失礼だが、燃えるぜかっこいいムードでもある。それで物事が良い方向へと進むなら、僕は大歓迎です。でも中には、あまりにも負けず嫌いが昂じてイカサマをするやつ。キレて当たり散らすやつ。負けを認めず、敗北の1ページを人生に刻めないやつ。負けることから何一つ学べないやつ。ハングリー精神も路線を間違えればただの動物です。それは命のやりとりをしていたり、誰かの身の安全がかかっているなら一向に構わないというかそんな状況は知らないけれど、負けを受け止められない、間違った方向で勝とうとする人は、放っておけば相手を殺し尽くしそうで見ていて怖いから、争いが起こらないようにわざと負けたりする。そういう気を遣わせるやつ。そういう気遣いを受けて恥ずかしくないんだろうか。バカにされ手を抜かれ悔しくないんだろうか。ないんだよな、おそらく。何が何でも彼らは勝てばいいんだから。どんな形であれ勝利は勝利だ。そうやって優越感に浸っている姿はひどく滑稽に見える。そして、大多数の人にはその勝利という結果しか目に触れないだろう。その裏なんて、当事者同士でしかわからない。その裏に努力、才能、根性、執念があるのか、あるいは金、反則、細工、裏切り、スパイ工作、それらに準ずる何か、もしくは本来勝てるはずの人間が相手の必死さをキモがった末での遠慮があるのか。